インターハイ あのとき
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 勝つことの厳しさを知る
 バレーボール 北島真紀子 (創成館中教)

 「勝つことの厳しさを知った夏が、今の自分をつくった」。九州文化高バレーボール部時代、1994年の春高バレー準V、同年の愛知国体Vなど、エースとしてチームをけん引しながら、インターハイは無冠で終えた北島真紀子は語る。

 バレーボール一家で育った。父出さん(佐世保南高教)は、69年の長崎国体・教員男子で優勝。母恵さんも同国体少年女子チームの主将、弟武(筑波大)は本年度の全日本男子登録選手だ。そんな北島家にあったが、相浦中時は176センチの高さだけで、全国都道府県対抗中学大会もワンポイントブロッカーでの出場だった。

 しかし、高校で上級生の練習に対する姿勢に接して「自然と全国制覇を目指すようになった」と気持ちが変化し、急成長した。高校2年で180センチになった北島、180センチの満永ひとみ(現・久光製薬スプリングアタッカーズ)ら、平均身長179センチの超大型チームで臨んだ春高バレーは準V。井上博明監督も「下手な子がよくここまで勝負を。金メダルに相当する努力」と言うほどだったが、北島は「勝ちを意識し過ぎて緊張した」とミスを重ね、決勝当日に迎えた自身の誕生日も悔しさだけが残った。

強烈なスパイクを放つ北島
北島真紀子
1994年の富士インターハイ女子バレーボール予選グループ戦で、淑徳(東京)を相手に強烈なスパイクを放つ九州文化・北島=富山県、朝日町民総合体育館 「勝つことの厳しさを知った最後の夏が、今の自分をつくった」と語る北島真紀子(創成館中教)=諫早市、創成館高
 高校3年で迎えた94年の富山インターハイは、「今でも夢に見る」ほど精神的に追い込まれた厳しい練習に耐えただけあって、上り調子。大型チームとして優勝候補筆頭だった。だが、思わぬ落とし穴が待っていた。決勝トーナメント2回戦、九文バレーは優勝した共栄学園(東京)に研究し尽くされ、無念の敗退。井上の「おれのせいで負けた」の言葉に涙が止まらなかった。

 続く愛知国体は、監督を胴上げしたいとチームが一丸となり、悲願の優勝。その後は、大学でインカレ準V、全日本にも入り、卒業後はVリーグで優勝を経験した。今春、中学教員としてバレーボール部顧問に就任した。「高校最後の夏は忘れない。調子が良くても、負けることがある。勝つことの厳しさ、バレーボールの怖さを知った。だから、練習にも打ち込めた。この経験は指導にも生きるはず」と力を込めた。


ゆめ総体に期待
 応援糧に頑張って
 勝つための準備をしっかりして、戦ってほしいです。地元開催は望んでもプレーできるものではない大会だけに、うらやましいです。いいところを見せようと思わずに、自分にも応援してくれる人がいるんだと考えて、頑張ってほしいです。

 きたじま・まきこ 相浦中からバレーボールを始め、九州文化高2年の春高バレーで準V、3年の愛知国体で全国制覇。福岡大でインカレ準V、全日本入り、ユニバーシアード3位。1999年度に久光製薬鳥栖スプリングスでV1リーグの新人賞、2001年度に久光製薬スプリングアタッカーズでVリーグ制覇を果たした。今春から創成館中教諭。佐世保市出身。26歳。

2003年4月27日長崎新聞掲載

長崎ゆめ総体