インターハイ あのとき
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 厳しい練習で自信得る
 剣道 香田郡秀(筑波大助教授・剣道部部長)

 長崎市立小島中時代。放課後、まずクラブ活動に出た後、同市内の道場で大人と一緒に練習。午後8時ごろに同市白木町の自宅に戻り、同9時から3時間勉強。続いて夜中に思案橋まで往復約6キロのランニング。帰宅後は父親の初夫さんが見守る中、打ち込み100本…。床に就くのは常に午前1時を過ぎていた。

 「これだけやっているんだから負けない。高校で日本一になるんだ」。そんな猛練習で得た自信を胸に長崎東高へ進学すると、入学直後から団体メンバーに抜てき。1年で団体、2年で個人、3年で団体、個人ともインターハイに出場した。

 だが、高校日本一への道のりは平たんではなかった。中学3年で九州個人王者にも輝き、高校2年では九州大会団体優勝を飾るなど、数々の勲章を獲得した。それでも、日本一だけは届かない。高校3年の夏、東京インターハイが夢への最後の挑戦になった。

日本一に輝いた香田
香田郡秀
1975年の東京インターハイ剣道男子個人で日本一に輝いた香田=東京・日本武道館 「あのインターハイ優勝がなかったら、今の僕はない」と語る香田郡秀(筑波大助教授)=茨城県つくば市、筑波大
 ここで、思わぬアクシデントが起きた。「これがラストチャンスだと考え過ぎたのかもしれない。大会前の3日間は、夜も眠れず、飯も食えなかった」。体調的には最悪に近い状態だった。

 だが、逆に神経は研ぎ澄まされていた。「試合に対する意気込みや意欲、厳しい練習で得た自信があれば、少々の調子の悪さは乗り越えられる」。そう思えるだけの精神面の強さもあった。

 これが本番で力となって表れた。3回戦こそ1本先取されて苦しんだが、その後は「攻めの剣道」で栄冠を獲得。優勝の瞬間は「中学時代からの夢だったのに、正直実感がなかった。それよりも、横田亮二先生や両親に恩返しができたなという充実感があった」。

 長崎北高教諭時代の1985年、フランスで開かれた世界選手権では世界一に輝いた。「でもね、僕の中ではインターハイの方が大きい存在。世界選手権は、頑張れば何度もチャンスがあるが、高校3年のインターハイは一生に一度。掛け替えのないものであり、僕の人生をつくってくれた恩人ですね」


ゆめ総体に期待
 真っ向から勝負を
 地元という最高の舞台で、長崎県の剣道は素晴らしいといわれるような姿を見せてほしい。最近はわざと転ぶなどの行為も見られるので、長崎は真っ向から、高校生らしい勝負で勝ってほしいですね。私も応援に行きます。頑張ってください。

 こうだ・くにひで 小島小3年から剣道を始め、小島中3年で九州中学大会個人優勝。長崎東高3年で出場した1975年の東京インターハイ剣道男子個人で優勝。筑波大進学後は、学生東西対抗に4年連続出場。85年に世界選手権制覇。長崎市出身、45歳。

2003年4月21日長崎新聞掲載

長崎ゆめ総体