向陽高テニス部  尾辻哲也監督
2003年2月7日長崎新聞掲載


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経験ゼロから頂点へ

 「先生に何が教えられるの?」。学生時代にテニス競技経験がない尾辻哲也が10年前、向陽高テニス部監督に就任した時に、部員から浴びせられた言葉だ。「それはそうだなと思ったが、やはりショックだった」。この言葉が、尾辻の指導者人生の出発点になった。

 「給料をはたいて」あらゆるテニス雑誌を年間購読、手当たり次第にビデオも購入した。テニスクラブに入ってラケットも振った。そんな努力が実を結び、就任4年目の県高総体で団体初優勝。以来、インターハイ5度(団体)、全国選抜大会3度出場。「向陽」の名前は、九州、全国に知れ渡るようになった。

20校以上を見学

 北九州市出身の尾辻は、小学4年からバレーボールに熱中した。身長168センチと小柄ながら、垂直跳びは1メートル10センチというバネを生かしてアタッカーとして活躍、高校3年で福岡県国体少年代表に選出された。その後は左ひざじん帯断裂もあり、選手人生をあきらめたが、子供のころから抱いていた指導者としての夢は終わらなかった。

尾辻哲也監督
「日々努力」を掲げて常に生徒と行動する尾辻哲也・向陽高テニス部監督=大村市、向陽高テニスコート

 向陽高赴任3年目、そのチャンスが来た。「部活指導の基本を教えてもらった恩師」である同高ソフトボール部の林田和憲監督から「テニスをやってみないか」という勧め。「うそだろう」とも思ったが、スポーツへの情熱の方が強かった。そして、たとえ競技が違っても「負けさせるのは許せない。子供たちを、ずぶの素人の監督に教えられた選手にはしない」と心に誓った。

 それからは休日を利用して、九州全県の強豪校を訪問した。「スーツを着て、菓子折りを持って」。20校以上の練習を見学、指導法を模索した。「当時は誰も相手にしてくれず、ただ“どうぞ見てていいよ”という感じ。今に見ていろという意識もあった」

 この探求心は、県内の指導者の目にも留まった。海星高の東口亨監督から「頑張ってみろ」と声を掛けられた。長崎女子商高の荒木良助監督からは「練習に来い」と誘われた。「うれしかった。何年の何月何日ということまで覚えている」。強豪として認知されると同時に、経験者以上の指導力を養っていった。

強豪の仲間入り

 県高総体3度目の優勝までは、ジュニア出身者がいない素人集団での勝利だったが、2年前に現主将の藤野理絵ら経験者が入部。「全国で勝つ」という意識、力を持った選手と初めて出会った。「ゆめ総体があるからこそ来てくれた。これがなかったら県外に出ていたかもしれない」

 それだけに今夏に懸ける思いは熱い。「最低でもベスト8。文字通りに夢を持って臨みたい」。向陽得意の「攻めのテニス」で、全国の強豪と肩を並べるつもりだ。


 おつじ・てつや 北九州市立熊西小4年からバレーボールを始めた。身長168センチと小柄ながら、高校時代は持ち前のバネを生かして福岡県国体少年男子チームに選出。1991年に向陽高に数学教師として赴任。10年前からテニス部の監督を務める。北九州市出身、34歳。


2003年長崎ゆめ総体