西陵高バドミントン部  林貴昭監督
2003年2月4日長崎新聞掲載


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プレーを見せて変革

 今年も新春から、本県スポーツ界は若い力の活躍に沸いた。国見高サッカー部が全国選手権で準優勝、女子駅伝本県代表チームが全国都道府県対抗大会で3位に入賞するなど、華々しいスタートを切った。そんな上昇気流に乗せられるように、ここ数年でめきめき力を養い、全国レベルで通用するチームも多数現れてきた。本県で初開催の全国高校総合体育大会(インターハイ=長崎ゆめ総体)まで約半年。「地元総体をステップに、必ず日本一を」という確かな目標に燃える指導者たちを紹介する。

 西陵高に赴任した4年前。バドミントン部の指導者として初めて体育館の扉を開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、コートに寝転がっている部員2人だった。

 あいさつができない、時間を守れない…。当然、優勝など考えられない。そんなチームが、わずか3年後の県高総体(昨年6月)でインターハイ出場権を獲得した。「僕にとっては長かった。やっと勝てたという感じだった。そして、自分が日本一になった時よりもうれしかった…」

五輪出場逃して

 林貴昭の選手としての実績は輝かしい。瓊浦高時代、1年の県高総体以外は県の団体、個人タイトルを独占。日体大でも1年からレギュラーとなり、4年でナショナルチーム入り。卒業後は、五輪出場を目指して実業団「日本ユニシス」に進んだ。

 入社1年目はアトランタ五輪予選の年。右ひじ痛と闘いながらも、ダブルスで世界ランク24位(五輪出場枠は33位以内)に順位を上げた。だが、出場者が決まる直前は34位。「Reserve(補欠)」の通知は届いたが、出場には至らなかった。「かなり落ち込んだ。五輪開会式のテレビなんか見られなかった」


林貴昭・西陵高バドミントン部監督
自らがプレーの手本を見せながら、チームを全国レベルに導いてきた林貴昭・西陵高バドミントン部監督=西彼多良見町、西陵高体育館
 しかし、この結果が、指導者人生を歩む契機になった。3年で日本ユニシスを退社し、古里へUターン。「当時は自分が選手としてやるという気が強かったが、今は指導の方に力が入っている」。国内トップレベルの力を維持しながら、ここ数年は「指導が主」と口にするようになった。

目標はベスト4

 指導方法は「今は自分のプレーを見せられる。5年後は変わるだろうが、今は見せて相手をする」。ただし、これは放課後の練習に限ったことではない。林は赴任してから、ほぼ毎日学校に一番乗り。まだ暗いうちから10キロのランニング、筋力トレーニングを続けている。

 「自分自身の選手としての生命線だから」とだけしか言わないが、この姿勢は選手たちへ徐々に浸透してチームを変革。2年目からは、生徒たちも自主的に早朝練習を始めるようになった。西陵バドミントン部が、戦う集団に生まれ変わった瞬間だった。

 現在、西陵の名前は、高校バドミントン界で「だいぶ知ってもらえるようになった」。それだけに今夏の長崎ゆめ総体は「全国上位常連校になるための基礎固めになるチャンス」。将来は「高校日本一、そして日本を代表する選手を育てたい」という本県バドミントン界のニューリーダーは、「地元総体ベスト4」を目標に掲げている。


 はやし・たかあき 長崎市立小島小4年からバドミントンを始め、瓊浦高卒業まで県内タイトルをほぼ独占。全国高校選抜大会ダブルスで3位入賞した。日体大4年時のナショナルチーム選考会で優勝。全日本社会人ダブルス優勝、シングルス3位など数々の実績を誇る。長崎市出身。29歳。


2003年長崎ゆめ総体