[4完]小菅修船場跡

日本初の洋式ドック 


洋式近代的ドック
日本初の洋式近代的ドック、小菅修船場は、今ではその役目を終え、当時の施設を残すのみとなっている=長崎市小菅町
引き揚げ装置
グラバーが英国から輸入した引き揚げ装置は、日本最古のれんが造りの建物とされる小屋の中にある=長崎市小菅町
世界遺産への旅 九州・山口の近代化産業遺産群

 世界遺産登録を目指す「九州・山口の近代化産業遺産群」構成資産の一つ、「小菅修船場跡」(長崎市小菅町)は、日本初の洋式近代的ドック。一歩足を踏み入れると、かつて盛んに船が出入りしていたころの活気に満ちた声が聞こえてくるようだ。

■船を滑り台に

 長崎市の南部、朝夕は通勤、通学の車やバスで渋滞する国道沿いに位置している。現在ではその役目を終えた修船場は、かつて船を乗せていた台車の跡や引き揚げ装置小屋、国指定史跡を示す看板でのみ、当時をしのぶことができる。

 幕末の長崎。故障が頻発する中古の洋船や外国からやってくる大型船を修理できるドックを望む声が高まっていた。そこで1866年、英国人貿易商トーマス・グラバーは、友人の薩摩藩士、五代才助らとともに長崎港の入り口近くに修船場の建設を計画。68年に完成させた。

 修理の際は潮の満ち引きを利用して、船を「滑り台」(台車)に乗せ、ボイラー型蒸気機関で引き揚げた。滑り台の様子がそろばんに似ていたことから、「ソロバンドック」の愛称で呼ばれた。

 引き揚げ装置がある小屋は、日本最古のれんが造りの建物とされ、外壁には「コンニャクレンガ」と呼ばれる通常より薄手のれんがが使われている。

地図
■「官」から「民」

 国内でも一大事業であった小菅修船場は69年、明治政府によって洋銀12万ドルで買収される。

 長崎製鉄所の所管となった同修船場では、72年から75年の間に木造蒸気船や帆走船など3隻を建造。西南戦争があった77年には、17隻の船を修理するなどした。この長崎製鉄所が、長崎の造船業の中心となる三菱重工長崎造船所のルーツ。

 55年、幕府は海軍創設を目的として、長崎に海軍伝習所を開く。その後、蒸気船修理のために機械設備を備えた施設が必要となり、61年に完成させたのが長崎製鉄所。しばらく官営の時代が続くが、84年に民営への移行方針が決まると、三菱が政府に長崎製鉄所の拝借願を出し、「長崎造船所」として経営。87年には政府から払い下げられ、正式に三菱の経営となった。

 小菅修船場は閉鎖する1920年まで、500トンの船舶を中心に約1千隻を修理した。高まる戦時色を背景に37年に操業を再開。戦後は漁船の修理を中心に引き受け、最終的には53年まで活躍し、69年、国指定史跡となった。

■稼働中の施設

 小菅修船場のほかにも、長崎港の周辺にはドックが次々と建設され、長崎の造船業は黄金期を迎える。当時の面影は、三菱重工長崎造船所の敷地内に現在でも数多く残っている。

 向島第3ドックは、1905年に建設され、当時の姿をそのまま残す唯一のドック。水の浦岸壁にそそり立つ150トンハンマーヘッド型起重機も、09年に英国から輸入され、据え付けから100年が経過した現在でも現役で稼働している。

 「九州・山口の−」の価値を検討している専門家委員会は昨年10月、これらの資産に木型工場(現史料館)、占勝閣(迎賓館)を加えた計4件を新たに構成資産候補に加えるよう提言した。

 これらの資産は現在でも稼働中の施設で、世界遺産本登録に必要な国の重要文化財や史跡の指定を受ければ、使用できなくなる可能性がある。世界遺産登録推進協議会は「資産所有者との同意に向けた協議を進める」としているが、これら四つの資産が世界遺産となるには課題が残されている。

文 ・荒木竜樹
写真・出口浩二

インタビュー/三菱重工長崎造船所史料館館長  横川清さん

造船の歴史発信したい

横川清さん
 長崎の造船業の歩みを貴重な資料とともに紹介している三菱重工長崎造船所史料館の横川清館長(59)に話を聞いた。

 −小菅修船場の歴史的な意義は。

 西洋からの新しい造船技術を用いて日本の船を修理していったという意味で、やはり本格的な造船業の始まりといっていいだろう。(蒸気船修理などのため建設された)長崎造船所でも最初のころは、エンジンの修理が中心だった。メーンとなる船体の修理ができるようになったのも、小菅のドックが稼働してからのこと。その意味で、エンジンのコンパクトな修理工場から(近代の)本格的な船の工場に変わっていったきっかけが小菅修船場だった。当時世界で最も工業力の高かった英国の技術が本格的に入ってきたのも小菅以降だったことを考えると、その意義は大きい

 −今後の課題は。

 小菅修船場のように、ここまで昔の設備が残っている施設は世界的にも少ないようだ。きちんと整備することで、産業遺産としての価値がより高まるのでは思う。船の修理を中心とした小菅修船場の一方で、三菱は日本の造船業の長い歴史の中で、日本を代表する船や、それに付随する機械を造ってきた。そのような歴史も史料館を通じて発信することができたらと思う。


2010年2月27日長崎新聞掲載







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