[3]旧グラバー住宅

居留地の面影静かに伝え


旧グラバー住宅
日本の近代化の歩みを見守ってきた旧グラバー住宅。新しい時代の扉を開いた先人たちに思いをはせる=長崎市南山手町
端島
明治時代中ごろのグラバー住宅。増築された温室の屋根から突き出た老い松。グラバーは自宅を「IPPONMATSU(一本松)」という愛称で呼んだ(長崎歴史文化博物館蔵)
世界遺産への旅 九州・山口の近代化産業遺産群

 世界遺産登録を目指す「九州・山口の近代化産業遺産群」構成資産候補の一つ、旧グラバー住宅(長崎市南山手町)はその名が示す通り、英国人貿易商、トーマス・ブレーク・グラバー(1838〜1911年)の居宅だった場所。静かなたたずまいに耳を澄ませると、幕末から明治期にかけて激動の時代を駆け抜けた先人たちの息遣いが聞こえてくるようだ。

■貿易出発点に

 長崎港を見渡す園内には小春日和の穏やかな光が降り注ぎ、家族連れなどが散策を楽しんでいた。国際観光都市・長崎を代表する施設、グラバー園は1974年開園。昨年度は82万5200人が入園した。約3万3千平方メートルの園内には日本最古の木造洋風建築、旧グラバー住宅をはじめ9棟の歴史的建造物が居留地時代の面影を今に伝えている。

 1858年、幕府は欧米5カ国と修好通商条約を締結。59年に長崎、横浜、函館が開港し、長崎の大浦地区一帯に外国人居住地域、いわゆる長崎居留地が整備される。66年に編入された出島を合わせ居留地の面積は約34ヘクタール。87年に人口千人を突破。条約改正で居留地が撤廃された99年には1711人が暮らしていた。

 グラバーが長崎の土を踏んだのは開港直後の59年9月。当時21歳。商会事務員として働き始め、62年にグラバー商会を設立した。幕末動乱を背景に武器や艦船主体の貿易で事業を拡大。幕府や長州藩などと取引し、中でも63年の薩英戦争後、開国論に傾いた薩摩藩との結び付きを強めていく。グラバーは駐日英国公使の鹿児島訪問の仲介や、薩摩藩士の英国留学を手助けしている。

 グラバー園学芸員の横山精士さん(39)は「グラバーは日記や手紙など書き物をほとんど残していない。そのことから逆に不言実行、バイタリティーに富み、行動的な人物だったことがうかがえる」と語る。

グラバーの胸像
トーマス・ブレーク・グラバーの胸像。本県出身の彫刻家、富永直樹氏の作
地図
■輝かしい足跡

 グラバーは日本初の洋式近代的ドック、小菅修船場(長崎市)の建設や、高島炭鉱(同)の開発など日本の近代化に輝かしい足跡を残した。だが、明治の到来とともに、長崎貿易の不振などから経営が悪化。70年にグラバー商会は倒産する。その後は三菱の顧問などを務め、横浜でジャパン・ブルワリー・カンパニー(キリンビールの前身)設立にも携わった。1908年に日本政府は明治維新に貢献したとして勲二等旭日章を贈った。11年12月16日、73年の波乱の生涯を閉じたグラバーは坂本国際墓地(長崎市)に眠る。

 グラバーが南山手の地に居宅を建てたのは1863年。正面玄関を設けないクローバー形の建築は、南国のバンガローを連想させる。居宅はグラバーの息子、倉場富三郎から三菱重工長崎造船所へと引き継がれ、1957年に創業100年祭を記念して長崎市に寄贈。61年、国の重要文化財に指定された。

■「市民が守る」

 大浦地区に生まれ育ち、長崎居留地まつりの実行委会長を務める桐野耕一さん(54)は「(グラバー園のある)あの一帯の丘は子どものころ、格好の遊び場だった。地元の人は今も親しみを込めて『グラバー邸』と呼んでいる。洋館群はまちの風景の一つ」と語る。

 戦後、長崎の洋館群は老朽化や開発ラッシュで次々に姿を消していく。87年には旧香港上海銀行長崎支店を解体する市の計画が持ち上がり、保存を求める市民運動が巻き起こる。13万人分を超える署名が行政を動かし、市は88年に方針を撤回。90年には国の重要文化財に指定された。市は同年、南山手地区17ヘクタールと東山手地区7・5ヘクタールを伝統的建造物群保存地区に指定。両地区は91年、国の重要保存地区に選定された。

 地域の歴史や景観を生かしたまちづくりを進めようと、96年に長崎居留地まつりがスタート。大浦地区一帯で音楽祭など多彩な催しを開き、歴史的遺産への関心を高める市民レベルでの活動が続く。桐野さんは「居留地の歴史や文化はまちの宝物。自分たちのまちに誇りを持ち、自分たちで守っていくという思いを広げていきたい」と話した。

文・蓑川裕之
写真・出口浩二

インタビュー/ブライアン・バークガフニさん 長崎総合科学大教授

歴史研究生かしたい

ブライアン・バークガフニさん
 25年余り長崎居留地の研究を続け、グラバー園の名誉園長も務める長崎総合科学大のブライアン・バークガフニ教授(59)に話を聞いた。

 −旧グラバー住宅が「九州・山口の近代化産業遺産群」構成資産候補になっていることについて。

 グラバーは高島炭鉱や、(薩摩藩が設立した日本初の洋式紡績工場)「鹿児島紡績所」などにも深くかかわっている。旧グラバー住宅そのものも日本最古の木造西洋風建築とされ、その価値は大きい。世界遺産に値すると考える。ただ、グラバーだけに注目するのではなく、居留地全体をとらえることも重要だ。

 −今後の課題は。

 建物そのものはきれいに残っているが、内部の展示の仕方や周囲の環境など、その当時の暮らしぶりを歴史学的に正確な情報に基づいて紹介しているとまでは言えない。裏付けとなる研究が今まで進んでいなかったためだ。今少しずつ取り組んでいる。長崎の近代史を伝える場所として重みを持たせながら、当時の日本人との交流やドラマを紹介する、より魅力的な場所に変えていきたい。


2009年12月30日長崎新聞掲載







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