(4)日野江城跡の行方

   “物証なき資産”に注目


日野江城跡
仏塔を敷石に使用した階段遺構や、外来系技法が使われた石垣が発掘された日野江城跡。現在は保護のため埋め戻されている=南島原市北有馬町
世界遺産への道 課題編・教会群とキリスト教遺産

関連遺物見つからず 「文献で証明可能」との意見も

 「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の推薦書作りが進み、3月までにはその価値のとらえ方や構成資産候補が固まる見通しだ。資産の絞り込みで焦点の一つになるのが南島原市北有馬町の日野江城跡の扱い。これまでの発掘調査でキリスト教関連の遺物は見つかっておらず、構成資産に盛り込むのは難しいとの見方がある一方、文献などを基に関連は証明できるとの意見もあり、“物証なき資産”の行方に注目が集まる。

 南島原市にある構成資産候補は日野江城跡、原城跡(南有馬町)、吉利支丹墓碑(西有家町)の三つで、いずれも国指定史跡。歴史的意義などを根拠に候補に入った。日野江城跡はキリスト教の繁栄を、原城跡は弾圧の歴史を語るのに用いられ、長崎にとどまらず日本のキリスト教史を説明する上で欠かせないとの意見もある。

▽有馬氏の居城

 日野江城はキリスト教の布教に力を入れた有馬氏の居城。築城の時期は諸説あり、1200年代とも、1300年代後半ともいわれる。城下には1580年、キリシタン大名の13代晴信の下で、日本初の西洋式学校「セミナリヨ」が開かれ、ローマに渡った天正遣欧少年使節の4人も1期生として学んだ。城下には国内最大級の教会も造られるなど、キリスト教文化の中心であり象徴だった。

 日野江城跡の発掘調査は、1995年に始まり継続中。中央政権との深い関係を示す金箔(きんぱく)瓦や、長さ100メートルにもおよぶ階段、仏塔を敷石に使った階段、外来系技法が使われた石垣など歴史的に貴重な遺物が出土。外国商人の文献に示された池の遺構なども本丸跡から見つかったが、キリスト教との関連を直接的に示す物はこれまで出ていない。全体像の解明にはまだ時間が必要で、遺構は保護のために現在は埋め戻されている。

 一方、原城は日野江城の出城。宣教師が残した記述などによると、晴信が治めた1604年ごろ完成したとされている。江戸幕府の一国一城令で廃城となったが、島原の乱(1637〜38年)で一揆軍が立てこもり、最期の地となった。一揆軍のキリシタンなど約3万7千人がここで亡くなったとされ、乱後、幕府軍によって徹底的に破壊された。この乱をきっかけに、キリスト教弾圧は厳しさを増したともいわれる。

原城跡

メダイや十字架などキリスト教信仰を示す遺物が多数出土している原城跡=南島原市南有馬町
地図


 発掘調査は1992年に始まり、2006年までに本丸部分をほぼ終えた。現在は三の丸の発掘が進んでいる。無数の人骨だけでなく、ロザリオの玉やメダイ、鉛の銃弾を溶かして作ったとみられる十字架など、キリスト教信仰を示す遺物が多数出土している。

▽調査終了後に

 県が国に提出する推薦書作りに学識経験者が助言する県世界遺産学術会議。07年12月から09年11月までに7回開いた会議の中では日野江城跡についてさまざまな意見が交わされ、ときに激論になることもあった。

 構成資産に盛り込むことに懸念を示すのは林一馬委員長(長崎総合科学大教授)。林委員長は「歴史的重要性は認める」とした上で「現在分かっている範囲では、日野江城をキリスト教関連遺産と説明できない」と指摘。「(世界遺産候補の現地調査を行う)国際記念物遺跡会議(イコモス)から『全容が判明していないなら、調査を終えてから推薦書を出してほしい』と言われる可能性もある」と話す。

 一方、五野井隆史委員(聖トマス大大学院教授)は「セミナリヨを中心にヨーロッパの文化が伝わった。それを支えたのが日野江城の有馬氏。島原の乱は農民一揆という意味合いもあるが、根底に信仰があったと考えてよく、日野江城と原城は一体ととらえるべき」と評価。「物証はないが文献はあり、宣教師が訪れ、キリスト教文化の交流があったことは分かる」と強調する。

▽繁栄の出発点

 地元では当然、構成資産入りを望む声が根強い。同市北有馬町の観光ガイド、有馬つんなも会の佐藤光典会長は「有馬の時代にこの地にキリスト教文化が入り、栄えたのが長崎の教会群の出発点。目に見えず、史実が日本にあまり残っていないのでインパクトは弱いかもしれないが、日野江城があったからこそ長崎にも教会ができた」と胸を張る。同市教委世界遺産登録推進室の松本慎二室長も「ここの歴史なしには(長崎の教会群は)語れない。世界的な重要性はあると思う」と力を込める。

 学術会議では約2年間の議論を経た現在、日野江城や原城を禁教時代を経て教会群が次々に建てられた歴史的背景を証明する資産と位置付ける考え方が出ており、3月に予定される次回会合で議題に上る見通し。世界遺産登録を抑制する流れの中、厳しい審査に耐えられる推薦書を作り上げるには構成資産についても徹底した議論が求められる。

文・村田傑人、副島宏城
写真・副島宏城



2010年1月23日長崎新聞掲載







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