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古里と似た先祖の地

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先祖の三五郎が暮らした大根河原と奈摩湾を背にした赤尾さん(左)ら家族=新上五島町、矢堅目の駅
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平山城司さんの父方の家系図「三代書き」とは別に、母の赤尾スエミさんの先祖には五島キリシタンの歴史上、名を残した信者がいた。赤尾さんの曾祖父、パウロ三五郎だ。
浦川和三郎司教著「五島キリシタン史」によると、三五郎は一八六八−七〇年ごろの弾圧下、上五島の曽根地区大根河原に居住。信仰のため牢(ろう)につながれた。逃げ延びた妻スミら家族は長崎に逃亡し、再び上五島に戻って三五郎と再会。苦労して下五島・三井楽の高崎に移り、さらに嵯峨島や渕ノ元へ。最終的に戸岐のへき地、〓網代(きびなごあじろ)を開拓し住み着いた。末裔(まつえい)の赤尾さんも〓網代が古里だ。
十二月二十七日、福江港から上五島に向かうフェリー太古船内。赤尾さんは「半農半漁、自給自足。イモで育ち、中学二年のころ電気が通じた」と子ども時代を回顧。傍らで孫の理絵奈さん(10)、亜依理さん(8つ)が、はしゃいでいる。二人が、先祖のいた上五島に行くのは初めてだ。
青方港で、新上五島町世界遺産推進室主査の石口敏広さん(34)と町議の川口昭一さん(54)が出迎えた。いずれもカトリック信者。二人の案内で小型バスに乗り、大曾教会や産品店「矢堅目(やがため)の駅」などを経て、奈摩湾口に切り立つがけ地へ。三五郎らが暮らした大根河原。今もカトリック集落という。がけの上から見下ろした赤尾さんは、目を見張った。
「〓網代に風景が似ている」。三五郎が、家族と信仰を守り、赤貧に耐え、転々としながら、安息の地に〓網代を選んだ理由。それはかつて住んだ大根河原と似ていたからかもしれない。赤尾さんは、先祖の思いに触れた気がした。
夕刻、火災で焼損し復元中の江袋教会を、川口さんの計らいで見学。その地から夕日に染まる海を見ていた平山さんは、遠くにうっすらと浮かぶ半島を見つけた。「下五島の三井楽半島だ。姫島もある。三五郎が三井楽を目指した時もこんなふうに見えたはず」。五十数キロ先の海に浮かぶ島影。それは先祖も見詰めた眺望にほかならなかった。
夜、長崎巡礼センターの犬塚明子さん(52)が合流。年末の夜、一行は青砂ケ浦教会のミサに参列し、信者約百人と共に祈りをささげ、聖歌を響かせた。
【編注】〓は魚ヘンに長
2009年1月28日長崎新聞掲載
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