
2007年12月8日長崎新聞掲載


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日本26聖人殉教地に立つ記念碑=長崎市西坂町
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JR長崎駅に隣接する若者向けファッションビルを背に山手を望む。国道を横切り、急な坂道を上ると「西坂の丘」にたどり着く。そこで目に飛び込んでくるのが、等身大とされる二十六体のブロンズ像が横一列に並んだ記念碑だ。
「全員の足が宙に浮くように垂れ下がっているのは、昇天している様を表現しています」「口が半開きなのは、賛美歌を歌っているからです」
2007長崎さるくフェスタの開催期間中だった十一月初め。田上富久長崎市長(50)がまさに“サプライズ”で、ガイド役を務めたのが、日本二十六聖人殉教地−。「いつもここで気合が入りすぎた」。市職員時代、コース設計から取り組み、何度もガイドをこなした思い入れの場所。
田上市長は、解説を続けた。「キリスト教にとって、ここは特別の場所。ローマ教会の公式巡礼地でもあります」。現に一九八一年二月、初来日したローマ法王ヨハネ・パウロ二世は長崎を訪れた際、記念碑の前でひざを折り、祈りをささげられた。
その殉教は、壮絶を極めた。宣教師や信者ら二十六人は京都・大阪から、長崎まで約八百キロを歩かされた。そして真冬の二月五日、十字架にかけられ、処刑された。この地での殉教者は江戸時代末期までに、六百人にも上ったという。
「二十六人は国内最初の殉教者。キリスト教を排除する見せしめだった」。日本二十六聖人記念館のデ・ルカ・レンゾ館長(44)は、そう語る。遠くから見渡せる丘の頂上に立つ無数の十字架−。ビルやマンションが林立する今とは違い、当時は、長崎港に入る船から真正面に見えていた。
それでも全員が、信仰を捨てることはなかった。「悲しい場所」であると同時に、「美しく感動的な場所」と評されるゆえんだ。記念館には、さまざまな遺物も展示されている。
二十六聖人は、日本人二十人とスペイン人ら外国人六人。「国を超えて差別や偏見にともに立ち向かい、信念を曲げないという共通の『答え』を導き出した。それが信仰だ」。レンゾ館長はこれが、現代に生きるわれわれへのメッセージでもあると言う。
世界遺産暫定リストに載った「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」。明治期−昭和初期の教会群、それ以前の禁教令前後の遺産群とに大きく分かれる。
とりわけ禁教令の直前、キリシタン大名によりキリスト教が受容され、発展していたころの遺跡も重要な意味を持つ。
市立桜町小に展示整備されたサント・ドミンゴ教会跡資料館。同小の改築工事に伴い、キリシタンの象徴とされる花十字紋(はなじゅうじもん)の瓦が大量に見つかった。文献などは残っておらず、当時の建物構造は不明なままだ。
ただ興味深いのは、同じ場所で、年代的には「その後」に当たる江戸期の代官屋敷時代の遺物が出ている点。市教委文化財課は「長崎特有の歴史の一端を示しており、価値は高い」と解説する。
キリスト教の芽生えと発展から、禁教に伴う殉教、迫害、潜伏を経て、復活へ−。本県の遺産群には目に見える教会建物と、歴史の息遣いを感じさせる遺産群とが混在する。
「すべては、祈りがあり、信仰があるからこそ存在し続けてきた。そこにはキリスト教のストーリーが脈々と流れている」。レンゾ館長は、世界遺産候補としての「精神性」の高さを静かに強調した。

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全国的にも貴重な江戸時代初期の教会遺跡、サント・ドミンゴ教会跡=長崎市勝山町
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キリスト教関連の貴重な資料が展示されている日本26聖人記念館=長崎市西坂町
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日本26聖人殉教地
国際的に有名な巡礼地
豊臣秀吉の命令で捕らえられたキリシタン宣教師や信者ら計26人が、1597年に処刑された殉教地。国際的な宗教史跡、巡礼地としても有名で、日本の為政者によるキリシタン弾圧の最初の殉教地でもある。ローマ法王は1862年、26人の殉教者を聖人に列し、その100年後の1962年には、周辺一帯が記念館として整備された。
サント・ドミンゴ教会跡資料館
“禁教令直前”で貴重
1609年に長崎代官の村山等安が寄進した土地にできたドミニコ会の教会。徳川幕府の禁教令で、わずか5年後の1614年に破壊され、その後代官屋敷が建てられた。跡地に立つ市立桜町小の改築工事に伴い地下遺構が発掘され、展示施設として整備。禁教令直前に当たる江戸時代初期の教会跡は、全国的にも貴重だという。
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