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  めざせ世界遺産:企画 世界遺産への旅・14
2007年10月27日長崎新聞掲載

旧出津救助院







西




ド・ロ神父遺跡



生き方教わった“父親” 外海を温かく包む人類愛

写真1
旧出津救助院の入り口に立つド・ロ神父と子どもの像。神父の深い愛が今なお外海の地を優しく包んでいる=長崎市西出津町
 「神父さまは技術だけでなく、生き方そのものも教えてくれた。この地域の父親のような存在」

 長崎市西出津町のド・ロ神父記念館で約二十年にわたり案内役を務めるシスターの橋口ハセさん(89)は、外海のために生涯を尽くしたフランス人宣教師、マルコ・マリ・ド・ロ神父への思いをこう語った。

 地元の人から「ド・ロさま」と慕われる神父が初めて外海の地を踏んだのは、禁教の高札が撤廃されてから六年後の一八七九年。主任司祭として出津に赴任した。

私財を投じ振興

 当時の外海は道路も整備されていない「陸の孤島」で、山と海に挟まれたわずかな土地での半農半漁の暮らしは貧しかった。神父は地域の窮状を救うため、私財を投じて産業を興し、医療、教育、福祉など多方面で外海の振興に尽くした。

 「とがさえなければかんころよろし かすりも絹も着たることなし げのためよろこべ げのためなり」

 橋口シスターが幼いころに母親から聞いたという歌を披露してくれた。

 「この歌は神父さまが作られた歌で、『かんころ(サツマイモの切り干し)のような食べ物を食べ、粗末な着物を着る暮らしであっても心さえよかったら幸せと喜びなさい』という意味です。歌いながら楽しく仕事をしていたんです」とシスターは笑顔を見せた。

 日本の社会福祉事業の先駆けともいえる授産施設「救助院」は、夫に先立たれた女性らに機織りやそうめん製造などの技術を伝え、自立させるための施設だった。橋口シスターの母親も神父から製粉技術を学んだという。

受け継ぐ進取性

 神父のフロンティア精神を受け継いでいこうと活動する女性がいる。地域活性化グループ「フェルム・ド・外海」代表の日宇スギノさん(60)=西出津町=。出津に生まれ育ち、クリスチャンでもある日宇さんにとって、神父の存在は常に身近にあったという。

 日宇さんは「私は母のおなかの中にいるときから、神父がフランスから取り寄せたオルガンの音色を聴いているんですよ」とほほ笑む。

 日宇さんらはフランス語で「外海の農家・農園」という意味の「フェルム・ド・外海」を一九八三年に立ち上げ、田舎体験希望者の受け入れや国際交流などに取り組んでいる。今年五月には二つの市民団体とともに、世界遺産ノミネート記念のチャリティーコンサートを出津教会で開いた。

 日宇さんは「信者にはそれぞれ使命がある。私にできることは神父の功績を次の世代に伝え、世界遺産の意義を多くの人に知ってもらうこと」と語った。

 フランス・ボスロール村に貴族の子として生まれ、二十八歳で来日したド・ロ神父。以後一度も故郷の土を踏むことなく、約三十五年間、外海の人たちとともに歩み続けた。亡くなった今もこの地に眠っている。

 神父がフランスから取り寄せたというオルガンは、今も記念館に残されている。橋口シスターは十三歳で地元の修道院に入り、神父ゆかりのオルガンを半世紀以上にわたり奏でている。

 きょうもオルガンの優しい音色が訪れた人たちを出迎える。「外海の太陽」とも称されるド・ロ神父が身をもって示した深い人類愛は、今も外海を温かく包んでいる。オルガンの音色はそんな気持ちにさせてくれる。

文・蓑川裕之
写真・吉田利一


写真2
ド・ロ神父ゆかりのオルガンを奏でる橋口シスター。優しい音色が来館者の心に響く=長崎市西出津町、ド・ロ神父記念館
写真3
マカロニ工場から延びる塀に残る「ド・ロ壁」。地元の自然石を乱れ積みした石壁で、接ぎ目には石灰・赤土・砂を混合したものが使われている=長崎市西出津町

 旧出津救助院、ド・ロ神父遺跡  西洋と日本 折衷の工法
ド・ロ神父の生涯
1840年 フランス・カルバドス県バイユ郡ヴォスロール村に生まれる
  65年 バイユの大神学校卒業。司祭叙階
  67年 パリ外国宣教会入会
  68年 帰国していたプチジャン司教とフランスを発ち長崎に到着
      大浦天主堂に石版印刷所を設ける
  71年 横浜に転任
  73年 長崎に戻り、大浦天主堂付司祭となる
  75年 設計した長崎市南山手の羅典神学校が完成
  79年 外海に赴任
  81年 青年教育所を開設
  82年 出津教会完成
  83年 救助院創設。本格的に授産事業を開始
  84年 外海・大平の原野開拓着手
  85年 鰯網工場、製粉工場、保育所を開設
      腸チフス流行、薬局を設け治療に当たる
      外海・砥石崎(といしざき)に防波堤を築く
  86年 北松田平(現在の平戸市田平町)と平戸・紐差に開拓移住開始
  87年 大村・竹松に貧民救済のため土地購入
  91年 赤痢が発生し、避病舎設置。青年救護隊を編成
  93年 大野教会完成
  98年 出津に野道共同墓地を新設
1911年 病気静養のため大浦天主堂に移る
  14年 長崎市南山手で逝去、出津の野道共同墓地に葬られる

※参考資料「ド・ロ神父記念館」パンフレット(長崎市発行)
  旧出津救助院はド・ロ神父が建設した授産場、マカロニ工場、鰯(いわし)網工場で構成。敷地内の石垣なども一体として保存されている。西洋と日本の折衷的な工法で建築され、「ド・ロ壁」と呼ばれる独特の練り石積み技術が用いられている。2003年に国の重要文化財指定。

 鰯網工場跡は1968年に「ド・ロ神父記念館」へと生まれ変わり、設計工学書や糸車、そうめん製造用具など神父ゆかりの資料を展示し、その足跡を伝えている。99年度からの約3年間、半解体修理が実施され、修復整備された。昨年度は1万4693人が来館。

 ド・ロ神父遺跡は旧出津救助院を含め、神父が開設した薬局や製粉工場などで構成。明治初期の先駆的な福祉事業の一端を知る上で重要な遺跡。67年に県の史跡指定。

 建物は「救助院」の流れをくむ「お告げのマリア修道会」(長崎市小江原4丁目)が所有。老朽化や台風被害で建物の傷みが激しいことから、同修道会は国、県、市の補助を受け、本年度内に修復工事に着手する予定。工期は5年間で、費用は約6億円が見込まれる。


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