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  めざせ世界遺産:企画 世界遺産への旅・12
2007年9月29日長崎新聞掲載

頭ケ島天主堂










青砂ケ浦天主堂



先祖が残した「わが家」 島の地域性と精神性を具現

写真1
奈摩湾を見下ろす青砂ケ浦天主堂。正統な意匠、様式が荘厳な雰囲気を醸し出す=新上五島町奈摩郷

 五島市の福江港からフェリーで新上五島町の奈良尾港へ。車に乗り換え、中通島を北へ約五十分。奈摩湾の小さな漁港を見下ろす高台に着いた。

圧倒的な存在

 「青砂ケ浦」の流麗な名称にふさわしい造形美。青空に映える赤れんがの色彩は、圧倒的な存在感を示している。靴を脱いで入室すると、ステンドグラスから差す陽光が、長いすや床を色鮮やかに照らしていた。

 青砂ケ浦小教区には、青砂ケ浦と冷水の両教会があり、信者数は四百世帯の千三百五十人。住民の大半が信者という敬虔(けいけん)なキリシタンの里だ。

 信者の古木哲雄さん(59)は「長い迫害の時代が終わり、信仰のシンボルとしてどこからでも見える地に建てた。祭壇も相当凝っている」と教えてくれた。

 一八七九年、信者は弾圧から解放された喜びを胸に、信仰生活の中心として小集会所を建設。現天主堂は三代目で一九一〇年に完成し、今に引き継がれている。

 古木さんによると以前、観光客が天主堂内に土足で入ったり、弁当を食べてごみを放置していくなど行儀の悪さが目立ち、鍵を閉めた時期もあったという。しかし近年、マナーは向上。音楽祭なども開かれるようになった。主任司祭の大山繁神父(61)は「教会は人が集う場。いろんな人に訪れてもらうということを前向きに考えている」と話す。

 「それでも教会は私たちにとってまず祈りの場。先祖からの『わが家』なのです」。世界遺産登録の運動が進む中、天主堂の門戸をどこまで開いていくのか。古木さんは複雑な思いものぞかせた。

血と汗の結晶

 同町の東に浮かぶ小離島、頭ケ島。中通島と全長三百メートルの橋で結ばれ、上五島空港が整備されている。一九一九年献堂の頭ケ島天主堂は石造り。切り石の濃い陰影をまとい、紺ぺきの海とキリシタン墓地を望む。現在の維持管理は、九戸十四人の信者。

 「先祖の残した血と汗の結晶」。敷地内の石碑には、そう刻まれている。

 信者ではないが同天主堂に詳しい有川港多目的ターミナル鯨賓館の安永與志文館長(70)によると、風雨が強い島の自然に耐えうる天主堂建設を目指し、島内の砂岩を活用。着手した一〇年当時の信者は、四十−五十戸の約二百人で、各戸から建設労働に従事した。

 砂岩は、海岸や西側の山を越えた場所などから切り出したらしい。信者は昼は建設作業に従事、夜はイカ漁などを営んだ。重い石は一個に数人がかかり、一日二−三個を運ぶのがやっとだったらしい。

 厳しい石材運搬、積み上げ作業、資金難−。途中、工事は幾度も中断。信者たちは自分の屋敷や土地などの財産も処分し、資金を捻出(ねんしゅつ)。建設を継続し、完成させた。しかし、財産を失った信者の多くは転出を余儀なくされ、戸数は十八戸に半減した。

 石積み天主堂の重厚な外観。裏腹に内部は、変化に富んだ折り上げ天井や柱、島に咲く花の文様の装飾などで彩られた清らかで柔和な空間だ。そして、浜辺のキリシタン墓地の方向へと導く石畳、沿道に植栽された手入れの行き届いた花々。島の地域性、精神性を具現化した情景は、島を離れた信者たちの思いも包み込み、信仰の歴史を刻み続けている。

 安永館長は、こう話す。「日光が天主堂を照らし、雲がわき上がり、山影が濃くなる。一日に七回ぐらい風情が変わるこの地にじっとたたずむと、天主堂が何かをささやきかけてくるような感じがするんです」

文・山田貴己
写真・吉田利一


写真2
重い切り石を積み上げた頭ケ島天主堂。内部は繊細な装飾が施されている=新上五島町友住郷
写真3
頭ケ島天主堂近くのキリシタン墓碑群と、信仰の日々を見守ってきた海=新上五島町友住郷

 青砂ケ浦天主堂、頭ケ島天主堂  れんが造り完成形と新たな記念碑的建築
位置図  新上五島町には約30の教会がある。両天主堂は2001年に国重要文化財に指定。

 大村領から五島への集団移住などで、青砂ケ浦にも信者が住み着いた。無人島だった頭ケ島には1859年、鯛ノ浦から信者が移住。ドミンゴ森松次郎は頭ケ島で67年、聖堂を兼ねた伝導士養成所を落成。上五島における信仰拠点として、多くの信者が集った。信徒発見後の68年から大弾圧「五島崩れ」が拡大し養成所は一時、監禁所に。森も五島を追われた。

 パリ外国宣教会は上五島の布教拠点を青砂ケ浦などと定め、神父たちが信者発見に努めた。青砂ケ浦では初代教会を経て89年に2代目教会を建設。現在の青砂ケ浦天主堂は1910年完成。設計施工は鉄川与助。れんがは佐世保、石は頭ケ島から運んだという。重層屋根構造で、正面入り口に石造りアーチ、内部はコウモリ天井。れんが造り教会堂の完成形。20年にアンゼラスの鐘が完成したが、戦時中は没収されて警戒警報の合図として使われ、戦後に青年たちが取り返した。

 頭ケ島では1919年に現天主堂を献堂。鉄川与助の設計施工。西日本唯一の切り石積みの石造り天主堂。天井は独特のハンマービーム架構構造。鉄川の一連の教会とは意匠的に相違し、新たな空間創造の記念碑的建築。


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