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めざせ世界遺産:企画 世界遺産への旅・10
2007年8月25日長崎新聞掲載
旧羅典神学校
=長崎市南山手町=
布教の種まいた「土台」 困難乗り越え、多くの司祭育てる
旧羅典神学校は日本最初期の洋風大型建築。1972年、国の重要文化財に指定された=長崎市南山手町
大浦天主堂(長崎市南山手町)の右側に、「旧羅典神学校」と呼ばれる白壁の大きな建物がある。同校は一八七五(明治八)年完成の由緒ある建築物で、国重要文化財に指定されている。
「羅典神学校」の呼び名は通称で、正式名称は長崎公教神学校という。同校では授業がすべてラテン語で行われたため、「羅典神学校」と呼ばれた。
禁教令の撤廃(七三年)を受け、プチジャン司教は七五(明治八)年、長崎公教神学校を開き、日本人司祭の養成に着手した。創成期の同校では、ルノー、フレノー、ボンヌら、宗教的情熱に燃える神父が教壇に立った。
食糧難に耐え
同校には、あつい信仰を胸に抱く少年が全国から集まり、一八八二年の高木源太郎らを皮切りに続々と日本人司祭が誕生した。同校はキリシタン復活後の布教の「土台」として大きな役割を果たす。
だが、同校は一九二五(大正十四)年以降、移転を繰り返し、戦中から戦後にかけては大きな困難にも直面した。
カトリック諫早教会(諫早市天満町)主任司祭の下川英利神父(74)は、四五(昭和二十)年から六年間、神学生として羅典神学校で生活した。
五島若松島に生まれ、敬虔(けいけん)なカトリック信徒が多い集落で育った。幼いころから神父にあこがれ、十三歳で島を離れて長崎公教神学校に入学した。
ところが、希望に満ちた少年を待ち受けていたのは、終戦前後のひどい食糧難だった。下川神父は「生きることで精いっぱいだった」と当時の苦しい生活を回想する。
食事は小さな茶わんにわずかに盛られた小麦飯か、小さなカンコロ(切り干しサツマイモ)。クリスマスだけは白米にありつけた。夜は空腹を抱え、三階の広間に仲間と頭を並べてごろ寝した。空腹はまるで拷問のように、育ち盛りの心身を苦しめた。
あまりの苦しさに、神学生の半数以上が学校を辞めて故郷へ帰った。下川神父の学級で志を果たして司祭になったのは、二十人のうちわずか二人だけだ。
そんな中でも、下川神父は真っすぐに神を信じ続けた。「神父になるためには、どんなつらいことでも受け入れなければ、と耐えました」。苦しみの日々は、神父を志す少年の信仰をさらに強くした。
石の「ド・ロ壁」
朝鮮戦争特需で日本経済が復興した一九五二(昭和二十七)年。長崎公教神学校の新校舎が長崎市橋口町に新築され、羅典神学校に寄宿していた神学生たちも移った。多くの司祭を送り出した羅典神学校の建物は、一つの役割を終えた。
いま、旧羅典神学校の建物は、キリシタン時代をしのぶ資料展示室として使われている。
各部屋の入り口には「応接室」「自習室」などのプレートが掛かってはいるが、資料を陳列するガラスケースが置かれた部屋に、かつて熱気あふれる授業が展開された神学校の面影はない。
館内を巡っていると、「地下の食堂の横に丈夫な『ド・ロ壁』があったなあ」と懐かしんだ下川神父の顔が頭に浮かんだ。外に出て左へ回ると、赤茶けた石を乱積みにした地下室の壁が、建物を支える土台のように奥まで延びていた。
まばらな形の石を一つ一つ丁寧に積んで造りあげた堅牢(けんろう)な石壁は、長崎市外海地方の布教で知られるマルコ・マリ・ド・ロ神父が手掛けたものだ。
作り手の労苦がにじむこの壁は、さまざまな困難に耐えて多くの司祭を育成し、布教の種をまき続けた羅典神学校という「土台」にふさわしいように思える。「賢い人は岩の上に家を建てる」という聖書の言葉をふと、思った。
文・松尾 潤
写真・吉田利一
大浦天主堂のステンドグラス越しに見る旧羅典神学校。地下には石積みの「ド・ロ壁」が続く
旧羅典神学校の内部。現在はキリシタン資料展示室として使われている
旧羅典神学校
日本最初期の洋風大型建築
国指定重要文化財。木骨れんが造りで地上3階、地下1階。全長約20メートル、建築面積232・8平方メートル。1873(明治6)年ごろ着工、75年完成。設計はド・ロ神父。日本最初期の洋風大型建築として非常に貴重といわれる。
プチジャン司教が75年開いた長崎公教神学校の校舎兼寄宿舎として建てられた。1階は校長室と教室、2階は神父の個室と教室、3階は学生宿舎、地下は食堂として使用されたとみられる(太田〓六著「長崎の天主堂と九州・山口の西洋館」)。
長崎公教神学校は予科8年、本科4年の計12年で、神学、哲学のほかに物理、自然科学、数学なども教えられた。1925(大正14)年には在校生が80人に達し、浦上校舎(現在の聖フランシスコ病院、長崎市小峰町)を新築し移転した。
30(昭和5)年、フランシスコ修道会に浦上校舎を譲渡し、再び羅典神学校へ移転。31年、東山学院跡(同市東山手町)、40年、羅典神学校への移転を経て、52年から現在地(同市橋口町)。現在の神学生は中学・高校の6年制で、長崎南山中・高(同市上野町)に通学。卒業後は福岡のサン・スルピス大神学校を受験する。
【編注】〓は「静」の「争」が「爭」
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