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  めざせ世界遺産:企画 世界遺産への旅・4
2007年5月26日長崎新聞掲載

原城跡

=南島原市南有馬町=

一揆軍激戦の舞台 人骨やキリシタン遺物など出土

写真1
本丸跡に建てられている天草四郎の像。島原の乱で総大将として一揆軍を率いた=南島原市南有馬町
 かつて本丸があった標高三十メートルの高台に立つ。遠くで鳥のさえずりが聞こえる。跡地に立てられた十字架の向こうに広がる紺ぺきの海と、澄み渡る空。三百七十年前の血塗られた歴史を思い起こさせる「痕跡」は、今は見当たらない。

 国指定史跡・原城跡。有明海や山々の景色を見飽きることがないことから「日暮(ひぐらし)城」とも言われ、武装蜂起したキリシタンなどの領民三万七千人が幕府軍と激しい戦いを繰り広げた「島原の乱」の舞台として知られる。

 当時、徳川幕府の禁教令(一六一六年)でキリシタン弾圧が強まっており、島原半島も例外ではなかった。キリシタン大名・有馬氏が衰退した後、島原領主となった松倉重政、勝家父子は、領民を使役や重税で苦しめ、年貢を払えない者やキリシタンは容赦なく拷問にかけ、殺した。

際立つ明と暗

 圧政に対する領民の不満と怒りが頂点に達した中で、「島原の乱」は起きた。半島には既に宣教師はいなかったが、キリシタンの「救世主」として担ぎ出された天草四郎の下に一揆軍は結束。いったん棄教した人も復帰し、一六三七年十二月、廃城となっていた原城に立てこもった。

 領民はほぼ全員が幕府軍に殺され、無造作に埋められた。この出来事を闇に葬り去ろうとしたかのように、城も徹底して破壊し尽くされた。

 これまでの発掘調査で城跡からは大量の人骨や、骨のそばから十字架、メダイなどが出土している。「死を目前にしたキリシタンたちが十字架などを握り締めて最後の祈りをささげたんでしょう」。調査を手掛ける南島原市教委文化課の松本慎二副参事は言う。

 キリシタンの栄華の象徴が日野江城であるとすれば、原城でそれは終焉(しゅうえん)を迎えたと言っていいかもしれない。島原半島の二つの城跡は、キリシタン文化の明暗をくっきりと際立たせている。

 一体、島原の乱とは何だったのか−。「乱を契機に幕府はキリシタン対策を強め、鎖国を完成させた」。県文化振興課の大石一久課長補佐は、単なる一地域での「反乱」ではなく、日本史上、重要なエポックだったととらえている。

「殉教」認めず

 島原の乱をめぐり、信仰を求めた宗教一揆だったのか、圧政に耐えかねた農民一揆だったのか−考え方は分かれる。日本二十六聖人記念館の結城了悟前館長は「農民一揆だった」とみる。キリスト教の教義上、「君主への暴力的反乱」である一揆は許されない。だからローマ法王庁は、乱で死んだ人々を「殉教」とは認めていない。

 作家の故・司馬遼太郎氏は著書「街道をゆく−島原・天草の諸道」(朝日文庫)でこう書いている。「一揆方のほとんどが教会の法理的な立場でいえば正規の信者ではなく、私的な信仰集団であった。(中略)カトリック世界から孤立しているという意味においても、島原ノ乱の一揆方は、悲愴な存在であった」(原文のまま)

 原城に立てこもり、命を散らした領民たちは何を得たのだろう。つかの間の信仰の自由か、圧政からの解放の夢か−。たそがれ時の本丸跡でしばらく考え込んだ。夕日が山際に沈み、十字架のシルエットが濃くなる。考えはまとまらないまま、やがて夕闇が深くなり、辺りは静寂に包まれた。

 文・北川 亮
写真・吉田利一


写真2
発掘調査で城跡から出土した人骨のレプリカ=南島原市南有馬町、原城文化センター
写真3
青銅製のメダイ。これまでに約20点が出土し、2センチ前後の物が多い=南島原市南有馬町、原城文化センター
写真4
標高約30メートルの高台に位置する本丸跡。遠くからでも十字架が見える

 原城跡  有明海背に「難攻不落」
位置図  発掘された遺構や宣教師の記録などによれば、島原領主だった有馬晴信が1599−1604年に築城したと推定される。周囲を有明海に囲まれた「難攻不落」の要害。本丸、二の丸、三の丸などで構成し、41ヘクタール。有馬氏に代わり島原藩主となった松倉重政が、一国一城令で島原城(森岳城)を築城したのに伴い、日野江城と原城は廃城となった。

 松倉氏の島原城築城による重税や凶作などが重なり、キリシタンを中心とした領民の不満は沸点に達した。1637(寛永14)年、当時16、17歳といわれる天草四郎を総大将に、農民ら約3万7000人が原城に立てこもった。「島原の乱」である。幕府側は約12万人の兵力を動員して鎮圧に動き、88日間に及ぶ籠城(ろうじょう)の末、落城。一揆軍は女性、子どもも含めほぼ皆殺しにされた。

 1938年に国指定史跡。これまでの発掘調査で、火縄銃の鉛弾を溶かして作ったとみられる十字架や青銅製のメダイ、ロザリオの珠など数多くのキリシタン遺物や数百体の人骨が出土。一揆軍が使用した竪穴式建物跡群も見つかっている。

 出土した遺物は原城跡近くの原城文化センター(南島原市南有馬町、電0957・85・3217)で展示している。


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