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よみがえる150年前の外海絵図 長崎市推進室がデジタル化

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現在の地図に絵図(色が付いている部分)を重ねた図。上下方向に蛇行する青い線は出津川。海はデータ処理で水色に着色
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長崎市世界遺産推進室は、世界遺産登録を目指す「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の構成資産候補の出津教会などがある同市外海地区一帯を記した、文久2(1862)年の絵図「彼杵郡三重 賤津村 黒崎村 永田村図」(長崎歴史文化博物館所蔵)をデジタルデータ化した。同推進室が現在の地図と比較照合したところ、地形などがほぼ一致し、精度の高い絵図であることが分かった。
絵図には当時の家や道、田、畑、墓などが色分けして詳細に記されている。世界の文化遺産などを研究する国際NGO「日本イコモス国内委員会」(東京)の矢野和之事務局長ら専門家は「外海地区の歴史を知る上で貴重。絵図を分析すれば、世界遺産登録を後押しする資料になりうる」と評価している。
絵図は、佐賀藩深堀領が作製したとみられ、大きさは約2・5メートル四方、縮尺は約1800分の1。同推進室が外海地区に関する資料を調査中に、絵図の存在を知った。同地区の歴史を知る上で有効活用策を探り、昨夏からデータ化を進めていた。
同推進室などによると、同地区は佐賀藩と大村藩の領地が混在していたが、境界を詳しく示す文献などはこれまで見つかっていないという。絵図は、佐賀藩領内の家や石垣などは色分けするなどして詳細に、大村藩の領地は単色で土地だけを表記。両藩の境目を表す「藩境石(はんざかいいし)」も記されており、現地調査の結果、現存する個所と一致した。
文献などによると、佐賀藩は大村藩に比べ、キリシタンの取り締まりが緩く、多くの隠れキリシタンがいたとされている。これを裏付けるかのように、現在、出津教会や旧出津救助院などが立つ場所は、佐賀藩の領地であったことを絵図は物語っているという。
日本イコモス国内委員会の矢野事務局長は「明治時代の地図なども重ねれば、外海地区の集落や田畑などの変遷がよく分かるはず。宗教的に集落の変遷などを分析すれば、文化的伝統を証明できる可能性がある」と話している。
2010年8月21日長崎新聞掲載
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