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データ

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名称 原城跡


よみ はらじょうあと


所在地 南島原市南有馬町


保護の種別 国・史跡(1938年指定)


交通アクセス 島原鉄道原城駅より徒歩15分


その他 出入り自由。駐車場あり。


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発掘された遺構や宣教師の記録などによれば、島原領主だった有馬晴信が1599−1604年に築城したと推定される。周囲を有明海に囲まれた「難攻不落」の要害。本丸、二の丸、三の丸などで構成し、41ヘクタール。有馬氏に代わり島原藩主となった松倉重政が、一国一城令で島原城(森岳城)を築城したのに伴い、日野江城と原城は廃城となった。
松倉氏の島原城築城による重税や凶作などが重なり、キリシタンを中心とした領民の不満は沸点に達した。1637(寛永14)年、当時16、17歳といわれる天草四郎を総大将に、農民ら約3万7000人が原城に立てこもった。「島原の乱」である。幕府側は約12万人の兵力を動員して鎮圧に動き、88日間に及ぶ籠城(ろうじょう)の末、落城。一揆軍は女性、子どもも含めほぼ皆殺しにされた。
1938年に国指定史跡。これまでの発掘調査で、火縄銃の鉛弾を溶かして作ったとみられる十字架や青銅製のメダイ、ロザリオの珠など数多くのキリシタン遺物や数百体の人骨が出土。一揆軍が使用した竪穴式建物跡群も見つかっている。
出土した遺物は原城跡近くの原城文化センター(南島原市南有馬町、電0957・85・3217)で展示している。
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