
「天皇に戦争責任はある」と発言した本島等元長崎市長が1990年1月18日、長崎市役所玄関前で、発言に怒った右翼団体の男に銃撃される事件が起きてから、きょうで20年になる。
市長は九死に一生を得たが、これは言論の自由を真っ向から否定する凶悪な犯罪であった。事件をいつまでも心に刻み、言論の自由を確立する方法を、不断に考え続ける必要がある。
市長の天皇発言は、88年12月の市議会答弁の中で出た。全国で賛否両論が沸騰し、右翼団体が激しい抗議行動を繰り返す一方、市長を支持し、言論の自由を求める世論も高まった。そして発言から1年余り後、銃撃事件が起きた。
言論の自由にタブーはない。いかなる問題であろうと、思想信条の自由、言論表現の自由が保障されて初めて、民主主義社会が成立する。その自由を暴力によって封殺しようとする行為は断じて許されない。
にもかかわらず、市長の発言が気にくわないという理由で、市長の生命を奪おうとした許し難い事件が、ここ長崎で起きた。この卑劣極まりない犯行に対するわれわれ市民の怒りは、20年たっても、いささかも薄らぐことはない。いや、怒りはますます募り、言論の自由を守る市民の決意は、ますます強固になっていると言えるだろう。
言論の自由を暴力で奪おうとする卑劣な企ては、民主主義社会全体への挑戦である。長崎市長に向けて放たれた凶弾は、すべての長崎市民に向けて放たれたものと言うべきだ。それゆえ、われわれは、この凶行を決して許さない。忘れることも決してない。そして、この凶弾に対する市民社会の答えは、ただ一つ。事件への怒りを建設的なエネルギーに変え、より言論の自由が保障された、真の民主主義社会を確立することだ。本島市長銃撃事件から20年の節目に、言論の自由を守る決意を新たにしたい。
2007年4月、長崎市では伊藤一長市長が暴力団の男に射殺される事件も起きた。二つの事件の動機や背景は異なるが、市民の代表の命を銃で奪おうとする犯行は、民主主義を破壊する行為であるという点で共通している。銃器根絶を含め、このような事件を決して繰り返させない対策に本気で取り組む必要がある。
本島市長銃撃事件から20年。われわれは、あのころに比べ、より多くの言論の自由を手にしているだろうか。決して、そうは思えない。たとえ、直接的な暴力の威迫はなくとも、他者の言論を封殺し、他者の尊厳を平気で傷つける風潮は、この国にまん延し、一層、深刻化している。そのような風潮を放置すれば、いつか必ず、言論封殺社会に結び付く。警戒が必要だ。
言論の自由、民主主義は、国民の不断の努力によって実現されるものだ。その努力を怠ったとき、言論の自由も民主主義も、あっという間に崩れ去ることは歴史が証明している。絶対にそうはさせないという決意を固めよう。(高橋信雄)
(2010年1月18日長崎新聞掲載)
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