長崎歴史文化博物館で名誉館長の市川森一さんと長崎純心大教授、宮坂正英さんのお話を聞く機会があった▲宮坂さんは「変わるシーボルト像」と題して出島のオランダ商館医シーボルトについて話した。西洋医学を日本に伝える一方、ヨーロッパに日本を紹介。「平和裏に日本を開国させようと列強に働き掛けた」と彼の功績を挙げた▲シーボルトは1823(文政6)年に来日。5年後、国禁の品を国外に運び出そうとして追放された。再来日は59(安政6)年から62(文久2)年まで。64(元治元)年に初めて長崎に上陸した坂本龍馬と接点はない▲だが、津本陽さんの小説「龍馬」にあるように、親友の今井純正(2代目海援隊長、長岡謙吉)は長崎でシーボルトから西洋医学を学んだと伝えられている。今井から、龍馬がシーボルトについて聞いたとしても不思議はない▲市川さんは、シーボルトと龍馬は「似ている」とし、「周囲の人の努力が自分の功績として実るタイプ」と評した。シーボルトの日本研究は弟子たちの協力があってこそ。龍馬も、勝海舟らの活躍や勤皇の志士の働きがあって歴史に名を残せた▲本紙連載「龍馬と長崎第2部 幕末崎陽 志士群像」は龍馬ゆかりの人々を興味深く紹介している。龍馬への関心は周辺の人物に目を向かせ幕末史へと移り、長崎の郷土史再考へと帰る。龍馬ブームの意義はこんなところにもあるのだろう。(成)
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