海舟の子
 (2009年1月27日付)
 坂本龍馬の師、勝海舟には長崎妻お久(梶くま)がいた。彼女の墓が長崎市筑後町の聖無(しょうむ)動寺(どうじ)にある。案内板によると大河ドラマ「勝海舟」放映の1974(昭和49)年に確認され、墓内に銀のかんざしが納められていた▲隣の本蓮寺は、海舟が海軍伝習所の伝習生として来崎した折の寄宿所。二つある案内板には、海舟の下駄(げた)の鼻緒をお久が直したのがなれ初め、1男1女をなしたとある▲男の子梅太郎は1864(元治元)年に長崎で生まれ、幼いうちに海舟の実家に引き取られた。長じて、勝家に通いキリスト教を教えていた米国人クララ・ホイットニーと結婚、1男5女をもうけた。しかし十数年後には別れ、クララは子どもたちと米国に帰国した▲当初は「うれしいのは梅太郎の変わりようである。−彼は19歳の大柄な若人に成長し、控えめな落ち着いた物腰であるが、彼は全く信心深いクリスチャンになり−」(講談社刊「クララの明治日記」)などと信仰ぶりに信頼を寄せていたのだが…▲1860(万延元)年、海舟が大志を抱き咸臨丸で太平洋を横断、訪れた希望のアメリカ。150年の時を超えて現代に、海舟とお久の子孫は米国に健在なのだろうか▲本紙に連載「龍馬と長崎 動乱の幕末をゆく」が始まった。第1回は海舟に同行する龍馬の長崎行の道程をたどった。新時代開拓の気概に満ちた幕末史を、ドラマチックに検証していく。(成)


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