私の中の毒物 カネミ油症発覚から41年
(3)
責任の所在
 混入経路2企業争う
 裁判は混迷 苦渋の和解


 カネカは長崎新聞社への回答書で、油症事件に関し「福岡高裁1986年5月15日判決で当社には責任がないことが明確に示されました」「和解条項に明記されています」−と記載。事件の責任を否定する根拠は油症裁判最後の判決と原告との和解内容にある、としている。

 事件当時、カネミ倉庫は油を満たした油槽内のステンレス蛇管に高温のポリ塩化ビフェニール(PCB)を循環させ、油全体を熱して、においなどを除く製法を取っていた。裁判でカネカの責任の有無は、PCBの混入経路が争点となった。

 蛇管には複数の腐食穴があり、カネミ倉庫や原告はPCBが蛇管を内側から腐食させ、漏出したとするピンホール説を主張。一方、カネカはカネミ倉庫従業員が工事ミスで蛇管に穴を開けPCBが漏出、汚染油を再脱臭し出荷したとする工事ミス説を展開。ピンホール説なら、カネミ倉庫と並んでカネカの過失責任も重く、工事ミス説ならカネミ倉庫単独の責任が重い。

 一連の裁判で計7回の判決が出たが、ピンホール説採用の4判決など計6判決はカネカの責任を認定。PCBの安全性を調査せずに食品業界に販売し、毒性や金属腐食性の十分な情報を提供しなかった過失があるなどとした。

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カネミ油症事件について「責任がない」と主張するカネカの回答書
 しかし、工事ミス説を採用した86年福岡高裁判決は「カネミ倉庫の措置は異常な違法行為。カネカにとって予見可能性がなく、責任を問えない」などとし、初めてカネカが勝訴。国の責任も認めず、責任の所在は根底から揺らいだ。以降、裁判は原告に不利な方向へ傾く。

 原告側は上告したが、最高裁は87年に和解勧告。20年近くの訴訟で疲れ果てていた原告側は、苦渋の選択で和解を受け入れ、その後、国への訴えもすべて取り下げた。製造物責任(PL)法(95年施行)は、まだ存在しない時代。PCBの製造責任は不問とされた。和解条項は、カネカに法的責任がないと原告が認めた上で、カネカは原告に支払い済み仮払金のうち300万円の返還を求めず、仮払金対象外の患者には見舞金を支払って平準化を図る内容だった。

 福岡の患者、故矢野トヨコさんは生前、油症が発覚した68年の数年前から油症に悩んでいたと話していた。だとすれば、工事ミスが真実だとしてもピンホールも存在していて、以前から漏れていた可能性は否定できない。混入経路さえ不明確なまま過ぎた41年。カネカは回答書をこう締めくくっている。「当社は尽くすべきは尽くしたと考えております」


2009年12月9日長崎新聞掲載


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