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三十数年、完全に放置され 約二十年前にカネミ油症の裁判が終結した後、油症に認定された新認定患者は全国に約六十人。認定の時期は、ダイオキシン類の血中濃度が診断基準に追加された二〇〇四年九月以降が大半。新認定患者は、一九六八年にカネミ倉庫の汚染油を食べて健康被害を受けたにもかかわらず、三十六年以上、油症と認められず、放置されてきたのだ。 油症被害が集中する五島市の漁業集落。一緒に油を摂取した家族内でも、認定、未認定に分かれているケースは珍しくない。 「なぜ今ごろ油症と認めたか。気持ちは複雑。早く認定されておれば家族の苦労も違っとった」。七十代の漁業の男性は、当時三十代の働き盛り。漁の疲れを癒やそうと妻たちは天ぷらなどを頻繁に作り、夫や育ち盛りの子に食べさせた。 男性は、漁船の上でめまいを起こすようになり、体に焼けるような痛みが走り血尿に悩んだ。肝臓、前立腺を患い、メニエル病の診断も。認定診査につながる油症検診は毎年受け、多種多様な病気を指摘されたが認定は却下され続けた。妻は今でも鼻血が止まらなくなる。五人の子も著しい体調不良。末っ子は乳児のころ「黒い赤ちゃん」と騒がれた。だが男性以外、油症認定されていない。
六十代の女性も油症検診は毎年受けてきたという。「却下のたび、油症じゃないんだと自分に言い聞かせた。三十年以上たって突然の認定。ショックでした」 結婚前後に汚染油を摂取。その後、生まれた長男は小学生でくも膜下水腫、高校で脳膜炎。その後、視力が急速に落ち、視覚障害者に。長女の子どもはわずか四歳で、呼吸器疾患のため亡くなった。「私が認定されていれば原因は油症と言えた。でも未認定だったからはっきり分からなかった。子どものことを思うとずっと眠れなかった」。女性の両親も油症で、母はとても苦しんで亡くなった。「本当はもう思い出したくない」。不条理で残酷な記憶に涙をため、絶句した。 ◎メモ/認定制度 九州大中心の研究班が皮膚症状と血中濃度重視の診断基準を設定。油症検診を受けた未認定者のデータで県油症対策委が油症か否か認定診査する。ダイオキシンポリ塩化ジベンゾフランの血中濃度は4年前に追加。
2008年5月22日長崎新聞掲載
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