償いの行方 カネミ油症事件発生から40年
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加害企業
 責任なすり合い 訴訟混迷


国も和解に背を向け

 「世界に誇り得る合理的かつ能率的に優秀な食用こめ油の生産を、故加藤平太郎子息等により受け継がれ、今日益々米からの副産物の有効利用の研究が進められ、米食民族の平和幸福増進の為一層努力研磨致しています」。油症事件の加害企業、カネミ倉庫は今も自社ホームページで米ぬか油精製の歴史を自賛する。

 同社の前身、九州精米の創始者、加藤平太郎は一八八一年、山口県で出生。同じ年、ドイツでは研究者がPCBの合成に成功した。

 加藤は、十代で朝鮮半島に渡り精米業にかかわり、第一次大戦の好景気を背に加藤精米所を創立。同半島を中心に猛烈な勢いで拡大させた。やがて米ぬかの活用に着目。研究者と結び付き、米ぬか油の工業化に成功する。油脂を輸入に頼る日本の国家的期待も寄せられた。一九三八年、北九州に九州精米設立。終戦後にカネミ糧穀工業に変更し、三男三之輔が社長に就任。国指定倉庫、発券倉庫となり五八年、カネミ倉庫に社名変更した。


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約1万4000人が被害を届けたカネミ油症事件を引き起こしたカネミ倉庫=北九州市
 PCBは、カネカ(旧鐘淵化学工業、大阪市)が五四年から国内初の生産を開始していた。カネミ倉庫は六一年、米ぬか油の新たな製法を採用し装置を購入。加熱したPCB「カネクロール400」をステンレス蛇管に循環させ、米ぬか油を熱する脱臭手法だった。

 油症が報道されたのは六八年十月。加藤平太郎は翌月、佐賀県で急死した。

 七〇−八〇年代に展開された油症裁判は、PCBの油への混入経路をめぐり混迷。当初、蛇管にあった数ミリの複数の穴が経路とされた(ピンホール説)。PCBの化学変化で蛇管を腐食させたとみられ、PCB製造のカネカの責任が注目された。だが、カネミ倉庫が脱臭装置工事の際、誤って蛇管に穴を開けて大量混入し、それを隠して販売したという「工作ミス説」も浮上。両企業は責任をなすり合い、被害拡大防止の不作為などが問われた国は患者との和解に背を向けた。

 長崎新聞五島支局は昨年末、複数項目の質問状をカネミ倉庫に送付。油症の反省や教訓に関する項目で、同社は「生産工程と品質の安全性に絶えず注意を払っている」などと答えただけだった。(敬称略)

◎メモ/PCB

 ポリ塩化ビフェニール。内分泌かく乱作用のある有害化学物質。加熱で猛毒ダイオキシンを生む。高度成長期、カネカなどが大量生産。電気機器、電線被覆、印刷インキなど広く使用され、油症事件で1972年製造中止となったが、PCB廃棄物の環境汚染が指摘されている。


2008年5月19日長崎新聞掲載


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