償いの行方 カネミ油症事件発生から40年
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売った苦悩
 「毒入り知っていれば」


自らも被害、口に出せず

 「カネミはなぜ毒入りの油ば出荷したとか。へき地で売ってしまえば分からんだろうと田舎者ばだました。金にしようとたたき売った」。五島市に住む男性(63)の総入れ歯のくぐもった声が震えた。

 男性は四十年前、カネカ(旧鐘淵化学工業、大阪市)製ポリ塩化ビフェニール(PCB)が混入したカネミ倉庫(北九州市)の食用米ぬか油を、汚染されていると知らず五島市内で販売した。自分も家族も油症被害を受けながら、油を地域で売ってしまった苦悩を抱え、生きてきた。

 当時、市内でスーパーなどを営んでいた男性の父が、トラックで福江に米の仕入れに行った際、声を掛けられたのが始まりだった。「安か油のある」。別の食用油を扱っていたので断ったが幾度も頼まれ、根負けし、一斗缶で五十缶を仕入れた。男性は当時二十三歳。軽トラックで缶のまま売った。安いので皆、飛び付いた。

 えたいの知れぬ病気が広がった。吹き出物、皮膚やつめの変色、異常な倦怠(けんたい)感−。「この店が毒ば売って金ばもうけた」。店先で会話が聞こえるたび、母は奥に逃げ込んだ。

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今も膿が出るという首筋を触りながら「毒油に体も心も家族もずたずたにされた」と語る男性=五島市内
 男性や家族も、汚染油を摂取していたため吹き出物と大量の膿(うみ)、寝汗、脱力感などに悩んでいた。朝起きると、布団に染み出た膿で体が接着され、はがすのが痛かった。男性は逃げるように島を離れ、長崎市でタクシー運転手に。歯が軟らかくなり溶けるように抜けていった。体の骨が溶解する恐怖に耐えながらハンドルを握った。数年後、男性は五島に戻ってきた。

 入退院を繰り返した母は目が悪くなり、十二年前、近くのがけから誤って落ちて死んだ。父は今年一月、急死した。「自分たちも患者だ」。涙を流して語った父の顔が忘れられない。

 「もし買ってきて売らなかったら。そのことばかり考える。でも毒入りとは知らなかった」。男性は、カネミ倉庫への強い憤りがある。だが、引け目から口を閉じ、救済を求める活動にもかかわれなかった。

 「一つ望むことがある。カネミでもカネカでも国でもよか。原爆(被爆者)の何分の一でよかけん油症患者に援助ばしてほしか。そうしたら父もいくらか浮かばれるかもしれん」

    ◇   ◇

 一九六八年、本県、五島市、福岡県など西日本一帯で広がったカネミ油症。確認されてから今年で四十年がたつ。PCBが熱変化したダイオキシン類、ポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)を主因とする未曾有の食中毒事件でありながら、被害者の本格救済はまだ遠い。カネミ倉庫に損害賠償請求する新認定患者の提訴が迫る中、被害者たちの思いと、加害企業などの償いの行方を見詰めた。(五島支局・山田貴己)

◎メモ/カネミ倉庫

 本社北九州市、加藤大明社長。従業員約110人。資本金5000万円。食用米ぬか油の製造過程でカネカ製PCBが混入、油症事件を起こす。現在も米ぬか油を業務用主体で年間約7000トン生産。製油部は北九州市と大村市、広島、愛媛。倉庫部、バイオ事業部もある。


2008年5月18日長崎新聞掲載


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