救済の一歩
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転 機
  小杉氏辞任し“大物”就任


 昨年十一月、開会中の臨時国会に救済法案を提出するため、与党プロジェクトチーム(PT)は五カ月ぶりに再開した。十二月八日、東京・永田町の議員会館。PTは一つの区切りを迎えようとしていた。

 「合意できないのであれば責任を取り、座長を辞めさせていただきたい」

 発言の主はPT座長の小杉隆(自民)。約五年前から被害者救済に汗を流してきた田端正広(公明)は、脱力感に襲われた。

 小杉は被害者の重荷となっている仮払金返還について、「資力がない場合は免除」とする法案の骨子を提示した。だが、被害者や支援者は猛反発。現行の債権管理法の免除条件とほとんど変わらず、救済範囲が広がらないからだ。

 公明も修正を要求。自衛隊員を目指す学生や司法修習生に国が貸与した資金は、本人が死亡した場合は返還を免除するとの規定を引き合いに、「人道的観点から仮払金返還義務は相続せず一代限りとする」よう迫ったが、合意に至らなかった。

 実はこの間、小杉は私的な問題で追い詰められていた。妻が投資に失敗し、多額の借金を抱えて自己破産。小杉の辞任表明直後、週刊誌が報道した。「小杉はカネミどころではなかったんだな」。だれもがそんな感想を抱いた。

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与党PTの新座長に河村建夫氏(中央)が就任。被害者救済に向け大きくかじを切った=2007年1月19日、東京・永田町の議員会館
 小杉が座長を降りても、何も決まっていないことに変わりはない。すぐさま後任の座長探しに動いたのは、PTを外されていた谷川弥一(自民)だった。「中川(昭一・自民党政調会長)先生サイドに手を打った」。谷川はこれ以上詳細を語ろうとしないが、閣僚経験者ら複数の名前が挙がった。

 小杉辞任から約二週間後の十二月二十三日、天皇誕生日。皇居であった祝宴に出席した田端は、中川の姿を見つけると声を掛けた。

 「暗礁に乗り上げて本当に困っている。力を貸していただきたい」

 中川は三カ月前の安倍政権発足の直前まで農相を務め、国会でカネミ油症について答弁したこともある。小杉の評判も既に耳にしていた。

 「座長は河村さんに頼んでおきました」

 元文部科学相で党政調会長代理、河村建夫のことだった。

 谷川は言う。「河村先生という“大物”が座ったことですべてが決まった」。年が明け、今年一月十九日。河村が座長に就任して初めてのPTが開かれた。そこには谷川の姿もあった。(敬称略)


2007年6月9日長崎新聞掲載


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