救済の一歩
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停 滞
  谷川氏PT外れ危機感


 「まるで拷問じゃないか。言う相手が違う。おれは分かってるんだっ」

 昨年九月二十五日、東京永田町の議員会館であったカネミ油症被害者の支援集会。訴えにじっと耳を傾けていた谷川弥一(自民)は、すごいけんまくで声を上げた。出席していた国会議員は、谷川と同じ本県出身の冨岡勉(自民)、元厚生労働相の坂口力(公明)ら被害者救済に前向きの議員ばかり。立ちはだかる巨大な壁に身動きが取れなくなっていた谷川は思わず、目の前の被害者に感情をぶつけてしまった。

 五月に始まった与党プロジェクトチーム(PT)は、座長の小杉隆をはじめほかの自民議員が被害者救済に消極的な官僚の側に立ち、救済の議員立法を目指す谷川や冨岡、坂口らがそれに反発する構図となっていた。

 六月。PTはさらに大きな危機を迎えた。「カネミ倉庫に被害者との和解を履行させることが大前提」。小杉は、従来の国の主張に沿ったこの見解を「自民案」としてPTに提示した。「絶対に認められん」。谷川は徹底して反対し、結果、座長の「私案」という形に落ち着いた。被害者代理人の保田行雄は「自民案になっていたらすべてが終わりだった。谷川さんが体を張って守ってくれた」と話す。

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油症被害者らの集会で熱弁を振るう谷川弥一氏(右端)=2006年9月25日、東京永田町の議員会館
 それ以降、PTの議論は前進することなく、六月中旬の国会閉会に伴い、休眠状態となった。国会閉会中も、冨岡や、公明のダイオキシン対策本部長で衆院議員田端正広は議員会館の小杉の部屋を訪ね、PT開催や現地調査を要求した。だが小杉は自民総裁選を控えていることなどを理由に「忙しい」と首を縦に振らなかった。

 田端は気になることがあった。ある時、向かい合っている小杉が電話に出て、硬い表情で「大丈夫か、大丈夫か」と誰かに問い掛けていた。小杉の周辺で何かが起きているようだった。それが後にPTの行方を大きく左右しようとは−。

 昨年九月、安倍晋三が自民新総裁に選ばれ、初の戦後生まれの首相が誕生した。二期目の谷川も十月、党副幹事長に就任。だがPTのメンバーから外された。「副幹事長とPTは兼務できない」。小杉の指示らしかったが、どこにもそんな決まりはなかった。

 「小杉さんではまとまらない」。党の有力者に進言していた谷川が、逆に返り討ちにあった。自民のPTメンバーのうち地元に多くの被害者を抱えるのは谷川だけ。「地元の代議士を外すなんて」。被害者や支援者の間に危機感が広がった。(敬称略)


2007年6月8日長崎新聞掲載


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