救済の一歩
( 6 )
理と情
  追い風、一転、向かい風に


 「カネミ倉庫は会社が小さいから和解金や賠償金を支払えないと言う。油症被害者は運が悪かったからあきらめろ、ということなのか」

 衆院議員谷川弥一(自民)はいら立っていた。二〇〇六年五月に発足した自民、公明の与党プロジェクトチーム(PT)。地元の五島に多くの油症被害者を抱える谷川が幾度となく迫っても、官僚は“正論”を繰り返すだけだった。

 「国への訴えは取り下げられており、国の責任は認められない」「カネミ倉庫に和解を履行させるべきだ。それが原因者負担の大原則だ」

 そんな理屈は分かっていた。カネミ倉庫が和解金などを支払えば、被害者はそれで国に仮払金を返還できる。だが−。「原因企業に責任があるといってもそこが支払えない。ならばそのすき間を埋めるのが政治ではないのか」。その信念が谷川を突き動かしていた。

 PTメンバーで谷川と思いを共有していたのは、本県出身の衆院議員冨岡勉(自民)と、先行してこの問題に取り組んできた公明の議員。ところが、自民環境調査会長で座長の小杉隆らほかの自民議員の間には、冷めた空気が流れていた。PT初会合を目前に、風向きはぐるりと変わっていた。

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油症被害者との面談で議員立法による救済の必要性を述べる坂口力元厚労相(右端)。既に「坂口私案」の骨子は固まっていた=2006年1月12日、長崎市内のホテル
 〇五年十二月、衆院の食堂。冨岡は、元厚生労働相の衆院議員坂口力(公明)と向き合っていた。坂口は、国が長年油症の原因と認めなかったダイオキシン類を診断基準に加えさせた。大臣を終えた後も約一年かけて救済法案を練り、既に骨子を仕上げていた。自民がまだ何も具体案を持っていない中、冨岡は公明の準備の早さに驚いた。

 「坂口私案」。ダイオキシン類を含む化学物質の健康被害調査に症状のデータを提供した油症被害者に対し「協力金」を支払い、それを医療費や仮払金の返還に充ててもらうというもの。

 坂口は年明けの〇六年二月、自民総務会長の久間章生に私案を説明し好感触を得た。谷川が協力を求めた政調会長の中川秀直は新聞記者時代にカネミ油症を取材した経験から思い入れがあり、幹事長の武部勤も厚労省幹部に強く解決を迫った。自民三役と元厚労相。この上ない強力布陣に、谷川は「もう終わったな」とほくそ笑んだ。ところが−。

 〇六年春、永田町の議員会館。初会合を前に、PTメンバーの部屋を訪ね歩く官僚の姿があった。「坂口私案は、適用範囲が大きく広がり、ほかの被害者や疾患対策に限りなく波及する恐れがある」「カネミ油症はそもそも決着済みだ」。議員への激しい巻き返しが始まった。(敬称略)


2007年6月7日長崎新聞掲載


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