救済の一歩
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3人の船出
  支援拡大のきっかけに


 たった三人の船出だった。五島市の宿輪敏子(45)、浦口一郎(40)、同年代の女性の若手患者は二〇〇二年、「ダイオキシンを考える会」を発足させる。ルポ「黒い赤ちゃん」の著者、明石昇二郎(45)が三人を引き合わせた。「高齢者ばかりでなく、若い人も油症で苦しんでいる。彼らが声を上げれば、油症が決して過去の問題でないことを、社会に認知してもらえる」。明石はそう考えた。

 油症患者への差別や偏見は、身をもって感じていた。「夫や子ども、兄弟に迷惑が掛かるのではないか」。宿輪は当初、人前に出るのをためらった。だが、徐々に使命感が芽生えていった。「隠れながら訴えてもなかなか社会に届かない。誰かが顔を出して告発しなければ」。〇三年から省庁交渉などにも参加。〇四年ごろには集会で発言するようになり、カメラ取材に対しても顔をさらし、実名を名乗った。

 ダイオキシンを考える会は、一般市民の若手を加え、〇五年十月、患者組織のカネミ油症五島市の会発足を記念し「PCB・ダイオキシンシンポジウム」を同市で開催。患者らは、健康被害や後世への不安、仮払金の苦悩などを赤裸々に証言し、中尾市長や市議、一般市民らに衝撃を与えた。シンポは、その後の市議会、県議会における患者救済を国に求める意見書の可決など、救済の声が拡大していく一つのきっかけとなった。

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医療費の公的負担など統一要望を決議した全被害者集会=2006年4月、北九州市
 〇五年十一月、五島市の会の宿輪と矢口哲雄(83)は五島出身の自民党衆院議員、谷川弥一を訪ねた。「患者は差別を恐れ、声を上げられなかったんです」。話が終わらないうちに、谷川は携帯電話のボタンを押した。相手は県五島保健所長。「被害実態を早急に上げるように」。短く指示した。「人命にかかわることだ。おれがやる」。谷川は確約した。目の前で動いてくれた政治家は初めてだった。

 カネミ油症被害者支援センターなどが進める日弁連への人権救済申し立ては、〇四年四月から〇六年一月までに、未認定を含む五百十九人が参加。日弁連は五島市などで聞き取り調査を進めた。

 同センターと患者の結束も強まり、〇六年四月十六日、北九州市で約二十年ぶりの全被害者集会が実現する。与野党国会議員、全国各地の患者や支援者ら約二百五十人を前に、宿輪と浦口もマイクを握った。

 翌日、日弁連は国とカネミ倉庫の油症患者に対する人権侵害を認め、救済を勧告した。(敬称略)


2007年6月6日長崎新聞掲載


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