救済の一歩
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被害者  宿輪敏子
  仮払金迫る国に憤り


 カネミ油症五島市の会事務局長の宿輪敏子(45)が小学一年の時からである。顔の腫れや吹き出物、発熱、頭痛、全身がだるく坂道を上るのがつらかった。父親の矢口哲雄(83)を含め、家族全員が同じ症状。油症だとは知っていた。だが、大人たちが言うように「いずれ治る」と思っていた。

 島外の短大を卒業後、小学校の先生になった。体調は相変わらずで、結婚したら教師との両立は無理と思い、六年後に退職した。福岡で仕事を探したが、症状はさらに悪化。手足のまひ、持続する発熱、下半身に紫斑が出て歩けなくなり、下腹部の激痛に襲われた。

 奈留島にUターンしたのは一九八九年。保母を経て結婚、出産し二人の子どもに恵まれた。「病気は自分の体質、と言い聞かせていた。油症は軽くなると思いたかったし、油症の汚い、嫌なイメージから逃れたかった」

 だが、ほどなく油症患者の置かれた現実を思い知らされる。九六年ごろ、矢口が農水省から届いた仮払金返還の督促状を申し訳なさそうに持ってきた。宿輪は初めて、自身が二百七十万円の仮払金債務を抱えていることを知った。油症事件について父親に話を聞き、本や資料を読みあさった。

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油症被害やカネミ倉庫などの人権侵害について訴える宿輪敏子さん=五島市内
 「返還請求の法的根拠は分かったが、それは絶対、正義ではない。油症で苦しんできた人たちに金を返せと追い打ちをかける。そんな冷たい国だったのか」。怒りが、宿輪を新たな救済運動へ駆り立てていった。

 一方、被害者側の弁護士にも動きがあった。八四年、全国統一訴訟弁護団の金銭管理が問題となり、一部原告が分裂。分裂した側の弁護士が死去したのに伴い二〇〇一年、薬害エイズ訴訟の被害者救済で活躍した東京の弁護士、保田行雄(55)が後任を引き受けた。

 保田は態勢の立て直しに乗り出す。「まず患者自身が被害を語り合い、理解し合い、今の実態をもう一度、社会に訴える必要がある。患者も政治家も同じ人間。その共感や理解こそが現状を変えていく」。保田は、これまでの弁護士と患者、患者同士のぎくしゃくした感情を乗り越え、認定、未認定の枠も超えて「油症被害者」として結束すべきと考えた。

 「止めよう!ダイオキシン汚染・関東ネットワーク」は、ダイオキシン被害の象徴である油症患者の救済に活動を特化するため広く呼び掛けて〇二年、カネミ油症被害者支援センター(共同代表・石澤春美、大久保貞利、佐藤禮子)を発足。保田らと連携して日弁連へ人権救済申し立てを開始し、全国統一訴訟弁護団も合流した。(敬称略)


2007年6月5日長崎新聞掲載


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