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家族全員であらゆる民間療法を試しながら病と闘っていた矢口哲雄(83)は二〇〇〇年、一人の女性の訪問を受けた。仮払金や健康被害のことを根掘り葉掘り聞く。「どういう目的だ。詐欺集団かなんかじゃなかろうか」。矢口はいぶかった。 「止めよう!ダイオキシン汚染・関東ネットワーク」。名刺には、そう記されていた。 カネミ油症被害者支援センターの前身、関東ネットワーク(代表・佐藤禮子)は一九九五年、東京で設立。脱焼却・脱埋め立て・脱塩ビ、化学物質包括的管理などを掲げ、政府交渉や市民集会を進めていた。九八年、事務局長の藤原寿和(60)は、ある雑誌の記事にくぎ付けになる。ルポライターの明石昇二郎が、福岡県の油症患者、矢野トヨ子の著「カネミが地獄を連れてきた」(八七年刊)を取り上げ、「油症はダイオキシンの影響」と告発していた。 当時、油症の原因は食用油に混入したポリ塩化ビフェニール(PCB)で、既に解決した過去の出来事との認識が一般的だった。国も「日本人にダイオキシン被害はでていない」としていた。だが、藤原が取り寄せた矢野の同書には、食用油からダイオキシン類のポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)が見つかった、と記していた。
関東ネットワークは、健康被害の現状をとらえるため、水俣病研究で知られる熊本市の原田正純医師と共に二〇〇〇年三月、玉之浦町で自主検診を実施。ダイオキシン被害を調べている埼玉県の主婦、石澤春美(62)らネットワークのメンバーは、社会から見捨てられた油症被害の実態に踏み込んでいった。 石澤はその光景を忘れない。「何も話すことはない。国から捨てられた。誰も助けてくれなかった。裏切られ続けてきた」。自主検診会場を出ようとする患者を呼び止めた際、彼は吐き捨てるように言った。 西の果ての島民が油症を抱え、絶望のふちにいる。 石澤の心が震えた。(敬称略)
2007年6月3日長崎新聞掲載
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