救済の一歩
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五島市の会会長  矢口哲雄
  ようやくスタートライン


 カネミ油症事件の仮払金返還免除特例法が一日、成立した。「心の重しが取れ、ようやくスタートラインに着いた」。そう言いながら、カネミ油症五島市の会会長、矢口哲雄(83)の表情はさえなかった。苦しみながら死んでいった人、仮払金返済に耐えきれず自死した人、今も油症を隠して暮らす人−自身と仲間たちの四十年間の苦悩、そしてこれからを思えば、手放しで喜べなかった。

 漁業の島、奈留島。一九六八年、腕のいい漁師だった矢口は、妻と四人の子の六人暮らし。社交的な妻は、島内の飲食店経営で才能を発揮した。休漁の夜は特に繁盛し、子どもたちの将来のため、懸命に働いた。

 同年三月ごろ、体に良くて安いと評判の食用米ぬか油を島内で購入。家でも店でも使った。数カ月で一升瓶七、八本を使ったころ、家族全員に異変が起きた。膿(うみ)を伴った吹き出物が顔や太もも、背中、皮膚の薄い局部に広がった。熱とかゆみ、大量の目やに、異常なだるさ、顔や体の腫れ、痛み、つめの変形、変色、脱毛−。「何が起きたか、訳が分からなかった」

 十月に油症が新聞報道されたことも知らず、病院でも原因は分からなかった。その間も油を使い続けた。「安売り油に毒が入っていた」。うわさが島に広がり、矢口らがようやく油症と認定されたのは六九年九月だった。

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「全被害者で新たな運動を築く」。特例法成立を受け、声明を読み上げる矢口会長=1日午後1時5分、五島市役所
 「店のお客さんにまで毒油を食べさせてしまった」。妻は今も罪悪感に苦しんでいる。その妻も当時、肝臓が化膿(かのう)して無数の石ができ、高熱で生死をさまよった。

 島にも被害者の会ができ、矢口らは七〇年、カネミ倉庫、鐘淵化学工業(現カネカ)、国を相手取った集団訴訟に参加。闘いは十七年間も続いた。二審の勝訴で損害賠償の仮払金を家族五人分受け取ったが、裁判費用や医療費、生活費などに消えた。その後、最高裁で逆転敗訴の可能性が高まり、原告側は国への訴えを取り下げた。九七年、国は「仮払金は不当利得」として返還請求の調停を申し立てた。

 「国は被害者を救うどころか、地獄に突き落とした」。無数の病と返す当てのない借金。底無しの失望感が残った。(敬称略)

   ◇   ◇   

 六八年、五島市や本県本土、福岡県など西日本一帯で発覚したカネミ油症事件。大人から乳児まで約一万四千人が被害を届けたが、厳しい診断基準の壁で認定患者は約千九百人にとどまる。国内最大規模の食品公害でありながら公的救済制度もないまま歳月が流れる中、打開のために立ち上がった被害者、支援者、政治家らの姿を追った。


2007年6月2日長崎新聞掲載


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