苦悩の仮払金
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混迷の裁判
  絶望の中、収入もゼロに


 一九七〇年以降、汚染油を製造販売したカネミ倉庫(北九州市)、ポリ塩化ビフェニール(PCB)を製造したカネカ(鐘淵化学工業、大阪市)に加え、「ダーク油事件」を油症被害の拡大防止に生かせなかった国などの責任を問い、全国統一第一陣−五陣が提訴。子どもからお年寄りまで油症と闘う苦しい体を押して原告となり、死亡者の遺族も加わった。

 だが、カネミ倉庫関係者の帳簿改ざんなど隠ぺいもあり訴訟は長期化。PCBが食用油に混入した経路は当初、九州大鑑定で、製造工程の蛇管にあった数ミリの複数の穴(ピンホール説)とされたが、その後、同社が脱臭塔工事で蛇管に誤って穴を開け、大量混入した工作ミス説が採用される。

 油症事件発生から十六年後の八四年三月、第一陣二審で、ダーク油事件に関し国の責任を初めて認定。原告側は喜びにわく。

 続く八五年二月の第三陣一審も、同事件について「農林省係官が食品について少しでも疑いを差し挟む余地があれば、直ちに厚生省などに通報し、連絡調整の措置を講ずべき義務がある」との判決を下し原告勝訴。

 国は一陣と三陣の原告計八百二十九人に対し、一人平均約三百万円の仮払金を支払った。

PCB製造企業に抗議する患者ら
油症に耐え、PCB製造企業に抗議する患者ら(カネミ油症被害者支援センター提供)
 だが、八六年五月の第二陣二審では、国やカネカの責任が否定される。判決は国の責任について「ダーク油事件にかかわった農林省の公務員には食品衛生担当官庁にライスオイルの危険性を通報すべき職務上の義務はない」とした。これで裁判の流れが変わったとされる。

 上告審を控える第一陣の原告らは、逆転敗訴が濃厚となる中、カネカと和解。しかし国は和解せず、原告側は追い詰められる。最高裁で原告敗訴となれば、仮払金は返さなければならない。このため、返還請求を難しくするなどの狙いから、国への訴えを起こしていない状態に戻す「訴訟取り下げ」を申し立て、八七年六月に国が同意。ほかの原告団も取り下げ、訴訟は八九年三月までにすべて終結した。

 そして、返還免除の政治解決も公的救済もないまま、社会の関心は薄れていった。患者たちは失望感と油症の苦しみを抱え、医療費や生活費などに仮払金を使った。

 当時、四人家族だった五島市奈留町の七十代の女性は、家族全員が重い油症となり、誰も働けず収入はゼロに。生活は借金で賄ったという。「仮払金はすべて借金返済で消えた。返さなくていいと思っていた」

 仮払金の請求時効が間近となった九六年、債権管理法に基づき、国は督促状を送付し、翌年、返還の調停を申し立てた。

 カネミ油症五島市の会の宿輪敏子事務局長(45)は「罪もない患者を救いもしないで、(仮払金を)返せと迫る国に憤りを感じる」と言う。


2007年1月25日長崎新聞掲載


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