「時が止まったよう」 油症患者が認定制度を痛烈批判

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重病を押して命懸けでカネミ油症について証言する嶽さん=長崎原爆資料館
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長崎市の長崎原爆資料館で24日開かれた「カネミ油症 被害者の救済を求めて! ナガサキ大集会」。今国会で油症被害者救済法案を提出、成立させるため患者5人が登壇し、40年以上に及ぶ健康被害と苦悩を証言。被害者を放置してきた国や認定制度を痛烈に批判した。
「油症事件は発生から、あたかも時が止まったかのごとく問題山積のまま何も解決されていない」。五島市玉之浦町出身で栃木県在住の嶽博幸さん(53)は小学6年時に汚染油を家族と食べた。首のできものが卵大まで腫れたが「油症の烙印(らくいん)を嫌い、検診を受けなかった」。高校卒業後、島を離れたが、脱毛症状や疲労感が続き、できもののうみを出すため病院での切開を繰り返した。
2000年、がんを宣告され闘病生活に。「カネミ油のせいではないか」との思いで油症検診を受けた。04年に認定されたが、公的救済の枠組みは何もなかった。「よりよい治療法と救済システムが構築されていると思い込んでいた」
命懸けで参加した嶽さんは「政治家は必ず正義ある英断を下すと信じている」と言葉を強めた。
玉之浦町の山下耕一さん(41)も決意を込めて証言した。汚染油を家族が食する過程で5人兄弟の末っ子として出生。「黒い赤ちゃんと言われて生まれたそうだ。初めて聞いたときはショックだった。明らかに違う姿で生まれたのに認定されなかった」。心臓の裏の炎症、腫瘍(しゅよう)、手足のしびれ−。異常は続くが、家族の中で父以外は未認定だ。
「国の診断基準で私が認定されることは一生ない」と山下さん。基準や診査は、ダイオキシン類などの血中濃度を重視し、病状をよく診ないからだ。3人の子が大人になるまで働き続けられるか不安を抱えながらいつか3人に油症の話をする時が来ると考えている。
「被害者が油症の事実を心の奥にしまい込むのではなく、堂々と言える体制をつくってもらいたい」。わが子も生き抜いていける社会を願い、山下さんは救済法成立を訴えた。
2010年1月25日長崎新聞掲載
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