2009年長崎回顧 > 県内・墓碑銘2009
(敬称略、芸名などは本名省略、年齢の下は死亡月日、海外は現地時間)
元長崎商工会議所会頭の中部長次郎(87歳、3・11)は水産や貿易、国際交流など幅広い分野で県勢浮揚に貢献した。1988年に会頭に就任した。大洋漁業(当時)常務取締役長崎支社支配人や長崎放送社長などを歴任。マレーシア留学生への支援が評価され、国王から勲章も与えられた。原爆投下後、故永井隆博士と共に被爆者の救護活動に尽力した久松シソノ(84歳、1・8)は86年に博士を顕彰する「長崎如己の会」を結成。博士にまつわるエピソードや被爆体験を交え、子どもたちに平和の尊さを語り聞かせた。
約40年間にわたり全国の被爆者の証言を音声記録してきた元長崎放送記者の伊藤明彦(72歳、3・3)も死去した。70年に長崎放送を退職後、被爆者らの証言記録活動を続け、1003人の証言を収めたテープを作成。全国各地の資料館や図書館に寄贈した。
長崎新聞社の元代表取締役社長、小川雄一郎(86歳、4・8)は被爆県の県紙として核兵器廃絶と世界恒久平和を掲げた。51年から県議5期、日赤県支部副支部長も務めた。67年からは24年にわたり県体育協会理事長として本県スポーツ界の発展に貢献した。
在韓被爆者で、来日しないことを理由に県が被爆者健康手帳の交付申請を却下したのは違法と訴えた訴訟の原告、鄭南壽(チョン・ナムスウ、89歳、5・25)もこの世を去った。長崎原爆資料館の絵画「悲しき別れ−荼毘」のモデルとなった少女の母、福留志な(107歳、11・29)も逝った。
政界でも訃報(ふほう)が相次いだ。旧民社党の元衆議院議員、小淵正義(84歳、10・20)は79年、旧衆議院長崎1区で初当選。4期連続当選し、衆議院社会労働委員、運輸委員を歴任。吉永正人(86歳、5・31)は58年から5期約16年にわたり県議を務めた。63年から77年まで県議を務めた久田唯義(94歳、9・17)も逝った。田中悌一(97歳、10・18)は59年から6期24年間県議を務め、副議長などを歴任した。
江頭徳尚(78歳、1・27)は95年から1期、旧岐宿町長を務めた。長郷哲夫(82歳、4・23)は77年から97年まで5期、旧豊玉町長を務めた。神田文吉(101歳、7・5)は63年から75年までの3期12年、旧鷹島村長、鷹島町長を務めた。80年から2期と、92年から1期の通算3期旧南高有家町長を務めた野原一喜(76歳、12・21)もこの世を去った。佐世保市議会議長を89年から91年まで2年間務めた松永茂男(88歳、8・23)も逝った。
経済界では十八銀行の前頭取、藤原和人(71歳、10・12)が鬼籍に入った。旧大蔵省に入省し、2000年から7年間、頭取を務めた。平井謙介(84歳、1・3)は1985年から2004年まで九州商船の7代目社長を務め、04年から06年まで会長。県観光連盟会長や長崎商工会議所副会頭も歴任した。山口信(76歳、1・20)は99年から料亭青柳の3代目社長を務めた。安田産業汽船会長の安田佐吉(91歳、1・22)も逝去した。78年から85年までチョーコー醤油の社長を務めた宮崎直吉(89歳、2・5)も帰らぬ人となった。
仏パリを拠点に活躍した長崎市出身の洋画家、末永胤生(96歳、2・18)は長崎にも個展の折に帰郷し、日仏交流だけでなく、長崎の文化振興にも貢献した。特定非営利活動法人(NPO法人)「佐世保空襲を語り継ぐ会」代表の新貝武史(79歳、2・17)も亡くなった。
【編注】
「吉永正人」吉は士が土
「江頭徳尚」の徳はツクリの心の上に一
「宮崎直吉」の崎は大が立の下の横棒なし、吉は士が土
2009年12月24日長崎新聞掲載
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