長崎新聞2001年3月27日掲載
海の環境悪化招いた? 排水門の開放で論争
公共事業見直しなど 多様な問題が絡み合う
有明海の異変をめぐり、厳しい目が向けられている諫早湾干拓事業の全景。右側が諫早市。上は島原半島(2000年12月撮影)


 諫早湾干拓事業(通称・諫干=いさかん)の行方が、全国の耳目を集めています。きっかけは、私たちが暮らす長崎県と、福岡、佐賀、熊本の三県が面する九州西部の内海、有明海の漁業に異変が起きたことです。諫干が海の環境を悪くさせたのではないか、という疑いが向けられているのです。今繰り広げられている「排水門を開けるか、開けないか」という論争は、環境問題のほか、住民の生命と財産を守る防災問題、国民の税金を使った公共事業をどう進めたらいいのか―といったたくさんの問題とつながっています。今日二十七日は専門家たちが東京で委員会を開き、排水門をどうするかを話し合う節目の日になるかもしれません。諫干の歴史を振り返りながら、今何が起きているのかを紹介します。(報道部・森永 玲)
 地元住民「防災のため、推進を」
 ノリ漁業者「不漁の原因、中止を」 

 諫早湾の広い面積を干拓地にしようという考えは、今から半世紀前、一九五二年に当時の西岡竹次郎知事が発表した「大長崎干拓構想」が始まりです。
■ 二転三転
 最初の計画は、食糧を増産するための農地造りが目的でした。北高小長井町と南高国見町を結ぶ諫早湾の大部分一万ヘクタールを閉め切り、六千七百ヘクタールの干拓地を造るという内容でした。

 これに、諫早湾で漁業をする人たちが「有明海を守れ」と反対の声を上げました。

 漁業者たちは、事業を行う国、これを推進したい県と鋭く対立しました。”米余り”が問題になる時代にさしかかっていたことも手伝い、計画は行き詰まりました。

 これを復活させたのは七〇年に就任した久保勘一知事でした。長崎南部地域総合開発計画(南総=なんそう)です。干拓地と淡水湖を、農地、かんがい・都市用水の確保など多目的に使う計画でした。

 県内だけでなく、福岡、佐賀、熊本の県外の漁業者たちも反対し、南総もまた、なかなか進みませんでした。そうした中、八二年、本県選出の金子岩三衆院議員(今の金子原二郎知事の父)が農水大臣に就任し、南総の打ち切り発言をしました。代わりに湾岸の洪水・高潮の防災事業をするというものでした。

 本当に打ち切りにはなりませんでしたが、この動きは干拓事業の規模を小さくし、防災を重視する方向が強まるきっかけになりました。

 八五年、諫早湾を閉め切る広さを三千五百ヘクタールと、それまでの三分の一にすることが決まりました。漁業者の損失に対する補償の交渉もまとまり、工事がようやく始まったのは八九年。最初の構想が明らかになってから実に三十七年。時代は昭和が終わり、平成に入っていました。

 今から四年前の九七年四月。工事は大きな節目を迎えました。

 諫早湾を潮受け堤防で閉め切る「潮止め工事」が行われたのです。諫早湾の広い干潟が消えてしまい、その生態系も失われてしまうことにショックが広がりました。
■ 内外対立
 そして、話は今年に移ります。

 元日、有明海でノリ養殖を営む福岡などの漁業者たちがたくさんの漁船を出して海上デモをしました。「ノリのひどい不作は、諫早湾干拓事業の影響だ」と叫び、事業の中止と、潮受け堤防に取り付けてある排水門の開放を求めたのです。

 福岡、佐賀の漁業者たちは海上、陸上で何度もデモを行いました。工事をストップさせるために、工事現場の入り口で「宝の海を返せ」と書いた横断幕を掲げ、何日も座り込むなど、実力行使を続けました。「排水門を開けて干潟を再生させ、元の海に戻せ」と叫びました。

 地元の諫早市や北高、南高の町は、これに強く怒りました。

 これら市町の有明海に面する地域は土地が低く、海面のほうが高いような所が多くあります。江戸時代から現在まで水害に悩まされ、多くの被害を出してきました。「諫干は防災のため絶対必要だ。そのために何十年も事業完成を目指し頑張ってきたんだ」と。反発したのは金子知事ら長崎県も同じです。

 農水省は、有明海全体の環境変化を調べることにしました。ノリ不作などの原因を突き止めるため、学者や漁業の関係者などを委員にした「第三者委員会」をつくりました。

 第三者委は今月十三日、工事を中断して調査する必要があると判断しました。このため農水省は一時中断を決め、調査がこれまで続けられてきました。この結果を受けて今日二十七日、いよいよ排水門を開けるかどうかの話し合いをすることになっています。  排水門の開放については、第三者委の中でも積極、消極の意見が分かれているほか、たとえ開けるとしても技術的な問題も残っています。事業をしている農水省は「第三者委員会の意向にゆだねる」と言っています。

 しかし、この間、谷津義男農相やその他の政治家たちの発言が、排水門を開けてほしい福岡などの漁業者たち、開けてほしくない長崎県の双方を一喜一憂させるような状態が続き、次第にどちらの側の人も、国への不信感を抱くようになってきています。
■ 打ち切り
 長崎県や地元市町には、もう一つ心配していることがあります。それは事業そのものの打ち切りです。

 国の財政は赤字がどんどん増えています。”開発型”の行政に対する国民の疑問の声も強まってきたこともあり、自民、公明、保守の与党三党は昨年から、必要のない公共事業の中止や見直しに本腰を入れ始めました。

 昨年の夏、大きな話題になった中海干拓事業(島根県)の「中止」、吉野川可動堰(ぜき)事業(徳島県)の「白紙」は、こういった流れの中で決断されました。

 諫干を推進する地元の人たちは「いったん工事が止まると、それっきり再開されることはなく、事業自体が消されてしまうのではないか」と疑っているのです。このため、県や地元市町は「排水門を開けるな」「工事をすぐに再開しろ」と農水省に激しく詰め寄っています。
■ “犯人探し”
 さらに「なぜ諫干だけが名指しされるのだ」とも言います。有明海の沿岸ではいろんな開発が進みました。筑後川大堰、熊本新港といった大きな施設ができました。炭鉱の坑道が海底に延びたことによる海底陥没の問題もあります。さらには、ノリ養殖で使う薬剤も海を汚していると言う人もいます。

 農水省は「双方がうまくいく解決を図りたい。有明海の再生も目指す」と言っています。今、進められている水質などの調査や、諫干を推進する人たちと福岡などの漁業者たちの間でまき起こった論争は、有明海の環境を悪くした”犯人探し”のような様相になってきています。

 しかし、環境悪化の原因を科学的に突き止めることがどこまで可能なのか―さえも今のところ分からないのが実情です。

▼ 国営諫早湾干拓事業
 農水省の事業。諫早湾の湾奥部に、1840ヘクタールの土地と調整池1710ヘクタールを造る計画で、1989年に工事が始まりました。海を閉め切った面積は3550ヘクタールで、諫早市の県立総合運動公園の陸上競技場(3.5ヘクタール)が1000個以上入る広さです。
 高潮、洪水、排水の不良に対する防災機能と優良農地の造成が目的でしたが、今は防災面がより強調されているようです。しかし防災効果については意見が分かれています。
 本年度に完成する予定でしたが2006年度に遅れ、総事業費も2490億円に増えることが一昨年、明らかになりました。
▼ 潮止め
 1997年4月14日、諫早湾を閉め切る全長7050メートルの潮受け堤防が完成し、外海と内側を断ち切る「潮止め工事」が行われました。堤防にずらりと並んだ鉄板が次々と海面に落ち込むシーンは、事業見直しを求める環境保護派の人たちから「ギロチン」と呼ばれ、たちまち全国的なニュースになりました。
▼ 環境保護派
 潮止め工事を前に、事業の見直しを求める人たちの活動が盛り上がります。諫早湾の干潟の生き物たちを原 告にして、民事裁判(ムツゴロウ訴訟)を起こすなどの運動が続きました。その中心人物だった山下弘文さん(昨年7月死去)は、地球保全を目指す活動家に贈られる世界的な賞である「ゴールドマン環境保護賞」を受賞。国際的な自然保護運動の中で、諫干は一躍、注目を浴びる存在になりました。
▼ 排水門開放
 潮受け堤防は、外部の海と事業の計画地の間を仕切っています。堤防には北部と南部の2カ所に排水門があります。堤防の内側には、淡水化しようとしている調整池と干上がっている途中の干拓地があり、そこでいろいろな工事が進んでいます。堤防の排水門を開けると、調整池のなかに海水が入ってくることになります。防災面で大丈夫なのかが分かりません。さらに、淡水にしたいところに海水を入れ、海水を嫌う農地にしたい場所にも海水が迫るわけですから、完成までには予定よりもさらに長い時間がかかってしまう可能性があります。

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