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長崎新聞120年の歩み
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20完・未来へ
<20完>
未来へ
地域密着の姿勢貫く
県勢初、清峰高が選抜V 県民、大いに沸く
「平成」に入り、新聞製作はコンピューターによる電子編集(フルページ)システムの時代へと移っていく。長崎新聞でも輪転機の2セット化やフルページの導入による新しい紙面づくりが本格化した。
■朝刊単独発行に
1993(平成5)年5月、懸案だった輪転機2セット(2機体制)化工事が完了した。新輪転機は1時間に15万部の印刷能力を持ち、最大32ページ、うち4ページの多色刷りが可能という当時の最新鋭機。2セット化によって印刷時間を大幅に短縮、鮮度の高いニュースをいち早く読者に届けることが可能になったほか、鮮明なカラー紙面も提供できるようになった。
2セット化に伴い、県民のライフスタイルの変化、情報の多様化に対応し、紙面の充実を図るとともに、新聞製作の効率化のために同年6月1日、34年間親しまれた夕刊を休刊し、朝刊単独発行として新たなスタートを切った。
「ニュースは朝」をコンセプトに、建てページは毎日24ページ以上。紙面を大幅刷新。新たに「ながさき近郊版」を設け、市内の行事や出来事、身近な話題を掲載。地域版は「県南」「県北」「県内ワイド」と合わせた5ページに拡大したほか、政治、経済、事件、地域の出来事などのニュースの背景を探り、検証する「報道スペシャル」にも力を入れた。
その後も紙面はいくつかの変遷を経て、地域版は現在「長崎近郊」「佐世保近郊」「県南県央」「県北離島」の地域割りで4ページ、「県内ワイド」は「ふるさと総合」「ふるさと経済」、「報道スペシャル」は「ろーかる視点・論点」へと受け継がれている。
■デジタル化対応
さらに94年にはコンピューターシステムによる新聞製作の導入に向けて動きだす。96年、メーカーを実績のある富士通に選定。システム構築を進める一方で、各部門ごとに研修を重ね、98年7月、計画立案から4年、パイロットシステム導入から約2年を経て電子編集(フルページ)システムは完成。新聞製作は組版、記事集配信、画像集配信、画像処理をコンピューター端末などを使って行うようになり、迅速化、効率化が一段と進んだ。
フルページ化と並行して、80年に出島から現社屋(茂里町)に移転する際に導入した輪転機を更新。更新工事は97年3月から始まり、同年12月には終了。これにより、93年に増設した輪転機と併せ最高32ページ、12面のカラー印刷ができる輪転機2セット体制を完備した。
技術はさらに進化していく。2006年には、デジタル化の時代に向けて世界標準のニュース配信方式NEWS−MLに対応した新しい編集システムへと一新。同年12月1日付紙面から本格稼働した。新システムはこれまでのフルページシステムより格段と性能が向上。精度の高いカラー加工、自在な組み版機能で、よりカラフルで斬新な紙面を提供できるようになった。
■110周年に20万部
紙面や新聞製作の向上、充実を背景に、県紙としての位置付け、地方紙の基盤を確たるものにするため、創刊110周年(99年)に発行部数20万部達成を目標に掲げ、社員、販売店挙げての増紙運動にも取り組んだ。
92年からほぼ毎年、有力企業などを対象とした組織拡張や地域の読者を獲得するローラー作戦などの運動を展開。その間も紙面改革や「赤ちゃん新聞」の発行、タブロイド判ミニコミ紙「パセリ」を各地域ごとに発行するなど読者により身近な情報や話題を提供するサービスも取り入れた。こうした地道な積み重ねが実を結び、99年8月、ついに20万部を達成。同年9月5日の創刊110周年記念式で報告された。
近年は経済の低迷に加え、若年層の活字離れや、高齢化の進展、インターネットなどITの普及などで新聞の未読層が増え、全国紙、地方紙ともに発行部数は漸減傾向。長崎新聞の発行部数も現在は18万5千部にとどまっている。
花巻東を破り選抜大会で初優勝、ガッツポーズで喜ぶ今村投手(中央)と駆け寄る清峰ナイン。右端は花巻東・菊池投手=4月、甲子園清峰センバツV
県勢初の甲子園制覇を報じた2009年4月3日付長崎新聞
「長崎ゆめ総体」開幕を報じた2003年7月29日付長崎新聞
■「被爆50年企画」
95年は戦後・被爆50年の節目の年だった。長崎新聞では前年の94年4月から「被爆50年企画」の取材班を編成し、1年かけて取り組んだ。被爆50年は「長崎を最後の被爆地に」と叫び続ける地元紙にとって、その責任と使命が問われる重いテーマでもあった。
当時、原爆の生き証人である被爆者の平均年齢は既に65歳。被爆者にとって残された時間は限られているという現実があった。週1ページ企画の「ナガサキを考える」シリーズは、長崎が抱える原爆・平和問題を洗い出して読者に提起すると同時に、報道する側にとっても原爆・平和問題の取材を次代の若手記者に継承していくきっかけになれば、という思いで取り組んだ連載企画でもあった。
被爆遺構、被爆者援護法、平和教育、語り部、戦争責任などのテーマでほぼ毎週掲載。「原爆・平和問題のページ」として定着し、このシリーズの中から生まれた原爆・平和関連の企画は「語り継ぐナガサキ」シリーズなど、被爆50年の1年間だけでも20シリーズを超えた。「ナガサキを考える」シリーズは、被爆50年以降も続けられた。
また、原爆・平和問題を考える資料としても活用してもらおうと、「ナガサキを考える〜被爆50周年原爆平和報道記録」(横A3判、217ページ、非売品)を出版。連載企画「ナガサキを考える」を中心に、社説や文化面企画などを加え、資料編には関連した一般記事のコピーを取り入れた。
このほかにも、「長崎新聞に見る長崎県戦後50年史」(A4判、343ページ)、「ニュースは語る〜戦後五十年」(A4判、74ページ)を相次いで出版。新聞記事や写真、当事者たちの証言、年表などを網羅して、戦後の本県の歩みや当時の世相が一目で分かるようになっている。
■重要事件の報道
「平成」に元号が変わって立て続けに起きた「本島等長崎市長銃撃事件」「長崎地裁・長崎新聞社銃撃事件」「雲仙・普賢岳噴火災害」のほかにも、県内では大きな事件や出来事が相次ぎ、紙面で報じられた。
93年に三重の濠(ほり)を巡らせた大規模な環濠(かんごう)集落や船着き場跡などが見つかった壱岐市の「原の辻遺跡」は、95年、魏志倭人伝に登場する「一支国」の国都と特定され、2000年には国の特別史跡に指定された。長崎新聞では97年、吉野ケ里遺跡のある佐賀県の佐賀新聞と共同企画「倭人伝を掘る」を週1回のペースで1年間にわたって連載、高い評価を受けた。
97年には国営諫早湾干拓事業の潮止め工事が行われ、293枚の鋼板が次々と海中に落下、潮の流れが遮断された。賛否両論が渦巻く中、事業は大きく動きだし、07年11月に完工。08年4月からは造成された干拓地で営農が始まった。一方で、佐賀地裁は同年6月、排水門開放を命じる判決を出した。国は控訴。早期開門を求める漁業者との論争は続いている。
■凶悪事件が続く
凄惨(せいさん)な事件も多かった。99年8月、佐賀、長崎両県を舞台にした連続保険金殺人事件が発覚、03年7月には長崎市で中1の男子生徒による4歳男児誘拐殺害事件、04年6月には佐世保市で小6女児の同級生殺害事件が発生した。
07年4月には長崎市長選に4選出馬して選挙運動中の伊藤一長市長が暴力団幹部に銃撃され、死亡した。90年の本島市長(当時)と2代続けての市長銃撃事件は全国を震撼(しんかん)させ、銃器根絶、暴力団追放の機運が高まった。さらに07年12月、佐世保市のスポーツクラブで男が散弾銃を乱射、男女2人が撃たれて死亡したほか、小学生を含む6人が負傷した。
今年も大栄丸沈没事故や釜山・射撃場火災など痛ましい出来事が起きた。
経済界でも大きな出来事があった。本県の観光をけん引してきたハウステンボス(HTB)がバブル崩壊後の景気低迷で入場者数が伸び悩み、03年2月、会社更生法の適用を申請し、経営破たん。その後、野村プリンシパル・ファイナンスによって経営再建が進められてきたが、昨年の世界同時不況で再び入場者数が減少し経営を圧迫。新たな支援企業を求め、交渉が続いている。
三菱重工長崎造船所が手掛けた世界最大級の豪華客船ダイヤモンド・プリンセスが02年、建造中に炎上。造船マンの威信をかけ、三菱の総力を挙げての復旧工事の末、姉妹船のサファイア・プリンセスと船名を入れ替えて、04年2隻とも船主に引き渡された。
■五輪へ記者派遣
一方で、スポーツを中心に明るいニュースも伝えてきた。03年、全国から約6万人の選手、役員が参加して「長崎ゆめ総体」が行われた。県内5万5千人の高校生は「1人1役運動」を推進して大会を盛り上げた。
08年に行われた北京五輪には長崎新聞として初めて記者を派遣し、本県出身者の活躍、健闘ぶりを報道した。男子体操の個人総合では諫早市出身の内村航平選手が銀メダルを獲得。今年10月、ロンドンで行われた世界選手権では優勝し、世界の頂点に立った。
また、今年4月には選抜高校野球で清峰高が県勢として春夏通じて初めての全国制覇を果たし、県民を大いに沸かせた。
■県民と共に歩む
現在、新聞業界はさまざまな危機に直面している。止まらない部数の減少、低下し続ける広告収入、ITの普及で真偽が入り交じった情報のはんらん、活字離れ…。そうした中にあって新聞はこれからも「信頼のメディア」として果たさなければならない役割はますます重くなっていく。
創刊120周年を迎えた長崎新聞は、唯一の地元紙・県紙としてこれからも地域に密着した視点と姿勢を貫き、地域住民にとってなくてはならない情報源として、地域世論の代弁者として、豊かなふるさとづくりに向けて県民・読者と共に歩んでいく。
市長選挙期間中、伊藤一長長崎市長が暴力団幹部に射殺された現場。この凶行は全国を震撼させた=2007年4月17日、長崎市大黒町
伊藤市長死亡を伝える長崎新聞号外=2007年4月18日
2009年12月29日長崎新聞掲載
<20完> 未来へ(2009年12月29日)
<19> 「平成」の幕開け(2009年12月12日)
<18> 昭和から平成へ(2009年11月14日)
<17> 出島から茂里町へ(2009年10月10日)
<16> 一県一紙へ(2009年9月12日)
<15> 4紙分離と朝鮮戦争(2009年8月8日)
<14> 戦後混乱期と新聞(2009年7月11日)
<13> 終戦前後の新聞(2009年6月13日)
<12> 戦時下の新聞(2009年5月9日)
<11> 世界大恐慌とテロ(2009年4月11日)
<10> 昭和初頭の長崎日日新聞<下>(2009年3月14日)
<9> 昭和初頭の長崎日日新聞<上>(2009年2月14日)
<8> 大正時代と新聞<下>(2009年1月10日)
<7> 大正時代と新聞<上>(2008年12月13日)
<6> 「明治」から「大正」へ(2008年11月8日)
<5> 「長崎新報」不敬事件(2008年10月11日)
<4> 日清・日露戦争と新聞(2008年9月13日)
<3> 自由民権運動と新聞(2008年8月9日)
<2> 西南戦争と新聞(2008年7月12日)
<1> 揺籃期(2008年6月14日)
〒852-8601 長崎市茂里町3-1
TEL:(095)844-2111(大代表)
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