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19・「平成」の幕開け
<19>
「平成」の幕開け
「言論の自由守る」決意
銃撃や大火砕流衝撃的なニュース相次ぐ
激動の「昭和」が終わり、「平成」へと元号は変わった。しかし、昭和末期からのバブル景気が崩壊、国内は経済の長い停滞期に入る。大手金融機関の破綻(はたん)が金融不安を引き起こし、企業倒産や統廃合、従業員のリストラが続き、社会全体に閉塞(へいそく)感をもたらした。一方で、ベルリンの壁の崩壊で東西冷戦時代の終結、湾岸戦争の勃発(ぼっぱつ)、ソ連崩壊など世界情勢も大きく様変わりしていく。県内でも銃撃事件や自然災害など、これまでにない衝撃的なニュースが相次いだ。
■市長銃撃事件
1990(平成2)年1月18日、本島等長崎市長(当時)が白昼、市役所庁舎玄関前で、男に銃撃され、重傷を負うという前代未聞の事件が起きた。
本島市長は88(昭和63)年12月7日の市議会で、昭和天皇の戦争責任問題に触れ、「天皇に戦争責任はあると思う」と発言。反発する右翼団体などからの激しい非難や脅迫にさらされた。一方で市長発言の支持と言論の自由を守ることを訴える38万人余の署名が集まるなど、発言をめぐって賛否両論の渦が巻き起こった。
銃撃事件は発言から約1年1カ月後、賛否の議論がようやく沈静化しかかったころに起きた。公用車に乗り込もうとしていた本島市長に、背後から近づいた男が短銃を至近距離から発射。銃弾は市長の左肩から胸部を貫通した。一命は取り留めたものの、約1カ月の重傷を負った。
銃撃した犯人は犯行から約5時間後、長崎市内のホテルで逮捕された。市長の「天皇戦争責任発言」に反発する右翼団体幹部だった。
■協会賞を受賞
長崎新聞では翌19日付朝刊で、銃撃事件の全容とともに、銃弾を左胸に受け、後部座席で血を吐きながら救急車を待つ市長と、病院に運ばれるまでの生々しい状況を迫真の5枚の写真で読者に伝えた。
撮影したのは、現場に居合わせた市政担当の高橋信雄記者(現論説委員長)。いずれの写真もシャッターチャンスを見事にとらえていた。
日本新聞協会は「その臨場感と迫力はテロの恐ろしさをあらためて読者に知らせたニュース写真」と高く評価。同年10月16日、金沢市で開かれた第43回新聞大会で、このスクープ写真を撮影した高橋記者に、新聞協会賞(編集部門)を贈った。
本島市長銃撃事件は、白昼、多くの市民が出入りする市役所玄関前という公共の場での凶行であり、「言論の自由と民主主義を否定する卑劣な犯行」として、銃器テロ糾弾の声が全国に幅広く巻き起こった。市長には激励の手紙が続々と寄せられ、海外でも事件は大きく報道されるなど、世界中の関心を集めた。
■本社にも銃弾
91年3月1日未明、長崎新聞社と長崎地裁の正面玄関にそれぞれ2発の銃弾が撃ち込まれた。幸い、けが人はなかった。県警は直ちに長崎署に捜査本部を設置し、捜査を開始した。
長崎新聞社も言論の府に銃弾が向けられたことを重視。「これが嫌がらせの犯行とすれば許せない。われわれは事件に影響されることなく新聞の社会的使命を守るため、公正な報道に力を尽くす」との声明を発表。同日の夕刊では事件の概要を次のように伝えている。
−同日午前8時ごろ、本社正面玄関のガラス戸とガラス戸上の社名プレートの2カ所に銃弾が撃ち込まれているのを警備員が見つけ、長崎署に届けた。一方、同8時40分ごろ、長崎地裁正面玄関のガラス戸と正面玄関前の石の階段にも2発の銃弾が撃ち込まれているのが、出勤してきた同職員の通報で分かった。両方の現場からは、それぞれ2個の薬きょうが確認された。長崎署の調べでは、いずれも同一の小型短銃から発射されたもので、同一犯が車の中から撃ち込んだものと推定、犯行時間は地裁付近のホテルの従業員の証言から午前2時〜3時ごろとみられた−
長崎市内の販売店店頭に掲示された本島市長銃撃事件を知らせる「長崎新聞速報」
左胸に銃弾を受け、血へどを吐きながら救急車の到着を待つ本島長崎市長。新聞協会賞を受賞したスクープ写真=1990年1月18日、長崎市役所玄関前
長崎新聞社と長崎地裁への銃撃事件を報じた1991年3月1日付夕刊
銃弾が撃ち込まれた長崎新聞社正面玄関を捜査する長崎署員=1991年3月1日、長崎市茂里町
■全国から激励
事件の背景には、本島市長発言を受けて長崎市内の右翼団体が88年12月、「昭和天皇に戦争責任はない」などとする意見広告の掲載を拒否されたとして、長崎新聞社を相手取り、広告の掲載を求めて起こした民事訴訟が大きくかかわっていると思われた。同訴訟は、銃撃事件が起こる4日前の2月25日、同地裁で訴えを棄却する判決が言い渡されていた。
捜査本部は、銃弾を撃ち込まれた場所が同訴訟の関係先であることに注目。捜査を続けた。ちなみに同訴訟は91年11月25日の控訴審でも棄却されている。
長崎新聞社は夕刊に続き、朝刊で事件の全容を報道。社説でも「許せぬ司法、言論への銃弾」と題し、「言論の自由と、暴力に屈せぬ民主社会を守ることに努める」決意を表明した。
このほか、紙面でも「司法・言論への銃弾」を連載。こうした暴力での言論封殺に屈せず、正当で粘り強い言論活動で、その根を断つまで戦い続けるという全社員の決意を披歴した。また、長崎新聞労働組合も事件当日、緊急抗議声明を出した。
長崎新聞社、長崎新聞労組には全国の新聞社や報道機関、教育、司法関係の団体、労働組合などから声明や激励が相次いで寄せられた。いずれも事件を「司法と言論への悪質な挑戦」と受け止め、言論の自由、民主主義の擁護を訴えたものだった。
捜査本部は事件から10カ月後の92年1月7日夕、右翼団体の5人を逮捕。調べで意見広告掲載を長崎新聞社に拒否され、訴訟も棄却されたことへの報復だったことが分かった。
■199年ぶり噴火
90年11月17日、雲仙岳の主峰・普賢岳(1359メートル)の山頂付近から噴火による白煙が上がっているのが目撃された。噴火は「島原大変、肥後迷惑」と後に形容される大きな被害をもたらした1792(寛政4)年の大噴火以来約199年ぶり。同日付夕刊では「雲仙で200年ぶり噴火、普賢岳山頂付近で2カ所」と一報を伝え、翌18日付朝刊1面では「雲仙岳の噴煙続く〜島原大変に酷似」と続報した。
噴火活動はいったん低下したが、翌91年2月から再び始まり、5月15日には島原市と南高深江町(現南島原市)の間を流れる水無川で最初の土石流が発生、「117世帯が一時避難」(15日付夕刊)した。
5月20日には地獄跡火口に溶岩ドームが出現。21日には溶岩ドームが東西方向に大きく割れていることが確認され、22日からは崩落が始まった。「溶岩ドームの一部落下〜大規模崩落の恐れ」(5月24日付朝刊)と報じたその日、「大量の溶岩が崩落〜東側斜面を一気に」(同24日付夕刊)落下、さらに「大規模土石流の恐れ」(同25日付朝刊)があるため、「910世帯に避難勧告」(同)が出される。
九州大島原地震火山観測所などの観測機関は火砕流の危険性を訴えたが、火砕流を報道しようと、全国から集まる報道陣は膨れ上がる一方だった。
■火砕流で惨事
そして運命の日、6月3日午後4時8分、「普賢岳で大火砕流続発」、死者・行方不明者43人を出す大惨事が起きた。
現場は島原市上木場町。葉タバコ畑が広がり、養豚、酪農農家が点在する農村地帯。この葉タバコ畑の狭い道路一帯がマスコミの定点観測ポイントになっていた。多いときには20〜30人のマスコミ関係者がこの場所に詰め掛け、火砕流の撮影や周辺の取材を行っていた。
火砕流はここも一気にのみ込み、マスコミ関係者とチャーターしていたタクシーの運転手、水無川流域の警戒に当たっていた警察官、消防団員、外国人火山学者、土砂除去作業の従事者、付近住民らが犠牲になった。
その後も9月15日、北側斜面で大火砕流が発生。熱風による火災で、深江町大野木場では小学校や民家など126棟、島原市上小場地区で65棟が焼失した。
火砕流と度重なる土石流は、島原市と深江町の広い範囲で家や田畑を埋め尽くし、警戒区域設定により、最大時で約3千世帯が避難を余儀なくされた。家や仕事をなくした人も多く、ふるさとの地を離れる人もあり、人口の流出が続いた。地域では「このままでは、ふるさとが本当に沈んでしまう」と、復興に向けての胎動が始まった。
長崎新聞では同年8月から94年6月まで「復興への道」のタイトルで、第2部として「明日に向かって」を95年7月から97年11月までの長期連載で復興への課題を探り、検証した。
きのこ雲のような噴煙を巻き上げる火砕流。惨事はこの直後に起きた=1991年6月3日午後4時、島原市上木場町
約200年ぶりの雲仙・普賢岳噴火を報じた「長崎新聞」=1990年11月17日付夕刊
大火砕流による惨事を伝える1991年6月4日付「長崎新聞」朝刊(左)と夕刊
2009年12月12日長崎新聞掲載
<20完> 未来へ(2009年12月29日)
<19> 「平成」の幕開け(2009年12月12日)
<18> 昭和から平成へ(2009年11月14日)
<17> 出島から茂里町へ(2009年10月10日)
<16> 一県一紙へ(2009年9月12日)
<15> 4紙分離と朝鮮戦争(2009年8月8日)
<14> 戦後混乱期と新聞(2009年7月11日)
<13> 終戦前後の新聞(2009年6月13日)
<12> 戦時下の新聞(2009年5月9日)
<11> 世界大恐慌とテロ(2009年4月11日)
<10> 昭和初頭の長崎日日新聞<下>(2009年3月14日)
<9> 昭和初頭の長崎日日新聞<上>(2009年2月14日)
<8> 大正時代と新聞<下>(2009年1月10日)
<7> 大正時代と新聞<上>(2008年12月13日)
<6> 「明治」から「大正」へ(2008年11月8日)
<5> 「長崎新報」不敬事件(2008年10月11日)
<4> 日清・日露戦争と新聞(2008年9月13日)
<3> 自由民権運動と新聞(2008年8月9日)
<2> 西南戦争と新聞(2008年7月12日)
<1> 揺籃期(2008年6月14日)
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TEL:(095)844-2111(大代表)
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