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長崎新聞120年の歩み15・4紙分離と朝鮮戦争
長崎新聞120年の歩み
<15>

4紙分離と朝鮮戦争 戦後の民主化で再出発

昭和天皇 疲弊した県民励ます

 戦前の「一県一紙政策」で強制的に県内有力4紙(長崎日日新聞、長崎民友新聞、軍港新聞=いずれも現長崎新聞の前身=、島原新聞)を統合し発足した「長崎新聞」は、戦後の民主化の波や社内の主導権争いなどの末、1946(昭和21)年12月10日付で再び元の4紙に分離、それぞれの題字で再出発した。

■奮起を呼び掛け

 長崎日日新聞は長崎市船津町(現恵美須町)の三菱病院分館を社屋に借り、「長崎日日」の題字で復刊。物資不足の中、第1号は割り当てられた用紙の関係からわずか2ページというものだったが、1面中央に4段抜きの社告で次のように述べている。

 「長崎日日は不偏不黨(党)、あくまで自由主義、民主主義の眞(真)義に徹し、何ものをもおそれず、何ものにも拘束されず、き然として中正の大道を歩み社會(会)の公器たるの眞使命をつらぬかんとする不退轉(転)の決意を持つものである」

 長崎民友新聞も長崎市出島の社屋で「民友新聞」の題字で第1号を発刊した。西岡竹次郎社長が1面トップから「われらのゆく道」と題した長文の「發(発)刊の辭(辞)」を載せている。

 この中で「いま日本民族は亡びんとしている。國(国)家は生きるか死ぬかの瀬戸際にある。小異を捨てて大同につく気持ちが全國民の中に、長崎縣(県)民の中に湧き起こらなければならない(後略)」と県民の奮起を呼び掛けている。

■地元支援で再建

 軍港新聞は題字を「佐世保時事新聞」に変更して復刊したものの、前年(45年6月)の佐世保大空襲で社屋が被災していたため、印刷は長崎日日新聞社に委託していた。

 戦災に遭った上、戦後の混乱期で再建しようにも資金がない。しかし、「軍港新聞は佐世保市民のものであり、長崎県民のものである」という経営者らの熱意が、当時の中田正輔・佐世保市長ら地元政財界を動かし、同市松浦町に新社屋と工場を建設。47年9月から自力で印刷を開始した。

 「島原新聞」も題字を「新嶋原」に改め、当初はタブロイド判で復刊。当時では珍しい夕刊紙として再出発した。

■相次ぐ夕刊創刊

 物資不足が続く中、新聞用紙は割り当てが決められている統制物資だった。しかし、統制外だった仙花紙(くず紙にパルプを加えた再生紙)が新聞用紙に使えるまでに紙質が向上したことなどで、全国的に“夕刊旋風”が起きる。

 県内でも49年10月、長崎民友新聞社が「夕刊ナガサキ」(のち「夕刊長崎民友」と改題)、長崎日日新聞社が夕刊「長崎タイムズ」(のちに「夕刊長崎日日」と改題)をそれぞれ創刊。朝刊紙の夕刊新設は新聞間の販売競争の激化へとつながり、それまでの共販制から一部地域では専売制がスタート。読者獲得への景品についても高額な物が登場するなどエスカレートしていった。

 さらに、新聞用紙の統制撤廃への機運も高まった。これに対して資本力や販売力などで劣る地方紙は危機感を募らせ、九州の地方紙10紙が統制撤廃反対を決議。当時の吉田茂首相、衆参議長、連合軍最高司令部(GHQ)に提出した。

 しかし、大手紙を中心に統制撤廃を求める声は強く、GHQの後押しもあり、51年5月1日から新聞用紙の配給と価格などに対する規制が廃止され、11年間にわたる用紙割り当て制度は終わりを告げた。

■公職追放と新聞

 GHQは戦後処理の一環として、46年1月に「公務従事に適せざる者の公職よりの除去に関する覚書」(いわゆる「公職追放」)を発した。47年には旧軍人を含む21万人余を公職や要職から追放。新聞・放送関係からも47年8月から48年6月にかけて全国で351人、本県からも長崎日日新聞社の渡貫良治社長、長崎民友新聞社の西岡竹次郎社長らが追放の対象となった。

 また、朝鮮戦争を境に、日本国内の民主化を進めてきた占領政策も大きく転換。徳田球一ら共産党幹部25人を追放。報道関係でも共産党員やその同調者が解雇された。「レッドパージ」と呼ばれるもので、全国で1万人を超える人が失職した。その一方で、公職追放された人たちの追放解除が始まった。渡貫、西岡両氏も追放解除となり、それぞれ社長に復帰した。


題字「新嶋原」

夕刊紙として再出発した嶋原新聞の題字「新嶋原」
佐世保時事新聞」の題字

軍港新聞から改題した「佐世保時事新聞」の題字
題字「長崎日日」

長崎日日新聞の題字「長崎日日」
■「人間宣言」発す

 昭和天皇は終戦の翌年の46年1月1日、「天皇と国民の紐帯(ちゅうたい=大切な結び付き)は神話や伝説によって生じたものではなく、また、天皇を現人神とした観念に基づくものでもない」として「天皇の神格化」を否定。天皇と国民の関係は終始相互の信頼と敬愛によって結ばれたものであるとする「人間宣言」は発表された。

 分離前の「長崎新聞」は同日付1面トップで「民意を暢達(ちょうたつ=伸び育つこと)、平和へ」「誓い新たに國運開かん」「年頭革新の詔書を賜ふ(う)」の見出しで詔書の全文を掲載。1月3日付社説で「平和的、道義的國家に再建に向かって最善の努力を致し、以て趣旨に應(応)へ奉らんことを希(ねが)ふものである」と天皇の「人間宣言」を支持している。

 「人間宣言」された昭和天皇は47年2月の神奈川県を振り出しに、全国を訪問され、戦争で疲弊した国民を見舞われた。

 本県には49年5月24日から4日間滞在され、佐世保、川棚、大村、島原、雲仙、諫早、長崎などをつぶさに視察し、県民を励まされた。特に長崎市では歓迎に集まった5万人の市民を前に「長崎市民が受けた犠牲は同情にたえないが、われわれはこれを礎として平和日本建設のために、世界の平和と文化のために努力しなければならない」と話された。

 「長崎日日」は昭和天皇が九州入りした時点から連日、1面トップで報道。病床の永井隆博士を見舞われた様子などを「残された子らにもお勵(励)まし」「科學(学)者天皇、科學者永井、感動の一瞬」の見出しで詳しく報じている。

■戦火、対馬も緊迫

 50年6月25日未明、北朝鮮軍が北緯38度線を越境、朝鮮戦争がぼっ発する。休戦となる53年7月まで3年余、朝鮮半島全域が戦場と化した。

 開戦当初は北朝鮮軍が優勢で国連軍、韓国軍は釜山など南部地域に押し込められたが、北朝鮮軍の補給線がのび切った50年9月15日、米軍を中心とする国連軍が仁川に上陸。まもなくソウルを奪還し、平壌も占領するなど反転攻勢に出た。しかし、中国人民義勇軍の全面介入で戦況は一変。戦線は38度線を挟んでこう着状況になった。

 朝鮮戦争に投じられた兵力は韓国軍・国連軍約270万人、北朝鮮軍・中国人民義勇軍など約300万人、戦死者は双方で約250万人とも推定され、民間人の犠牲者は韓国側だけで約106万人といわれている。

 朝鮮戦争の第一報は長崎日日新聞の夕刊「長崎タイムズ」で6月25日付1面で、「北朝鮮軍卅(三)八度線を突破」と報道。翌26日付長崎日日新聞では「北朝鮮政府きのう韓國に宣戰(戦)布告」「韓國支援に米軍行動開始」などの紙面が躍った。

 朝鮮半島の戦火は、避難民の流入が心配された対馬など、対馬海峡を隔てて近接する本県にとって無関係ではなかった。連日、「玄海にひゞく朝鮮の動亂」「緊張する海上保安部〜巡視船の哨戒を厳に」「避難民は逮捕〜“不法入國とみなす”」などの見出しが並んだ。

 戦前の軍港都市から平和商港都市を目指していた佐世保市は、朝鮮戦争のぼっ発で佐世保港が米軍など国連軍の軍事基地の役割を担うことになり、物資の集散や輸送など戦争の特需で潤った。半面、長崎港はそのあおりで貿易が激減するなどの打撃を受けた。


長崎日日新聞社の社屋

4紙分離後、三菱病院分館を改装した長崎日日新聞社の社屋=長崎市船津町(当時、現恵美須町)

「民友新聞」

長崎民友新聞が復刊した「民友新聞」

1949年5月28日付「長崎日日」

永井隆博士を見舞う昭和天皇を報じた新聞=1949年5月28日付「長崎日日」



2009年8月8日長崎新聞掲載



<20完> 未来へ(2009年12月29日)写真有
<19> 「平成」の幕開け(2009年12月12日)写真有
<18> 昭和から平成へ(2009年11月14日)写真有
<17> 出島から茂里町へ(2009年10月10日)写真有
<16> 一県一紙へ(2009年9月12日)写真有
<15> 4紙分離と朝鮮戦争(2009年8月8日)写真有
<14> 戦後混乱期と新聞(2009年7月11日)写真有
<13> 終戦前後の新聞(2009年6月13日)写真有
<12> 戦時下の新聞(2009年5月9日)写真有
<11> 世界大恐慌とテロ(2009年4月11日)写真有
<10> 昭和初頭の長崎日日新聞<下>(2009年3月14日)写真有
<9> 昭和初頭の長崎日日新聞<上>(2009年2月14日)写真有
<8> 大正時代と新聞<下>(2009年1月10日)写真有
<7> 大正時代と新聞<上>(2008年12月13日)写真有
<6> 「明治」から「大正」へ(2008年11月8日)写真有
<5> 「長崎新報」不敬事件(2008年10月11日)写真有
<4> 日清・日露戦争と新聞(2008年9月13日)写真有
<3> 自由民権運動と新聞(2008年8月9日)写真有
<2> 西南戦争と新聞(2008年7月12日)写真有
<1> 揺籃期(2008年6月14日)写真有





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