NAGASAKI PEACE SITE

2010年 原爆・平和企画

2010/12/18 長崎平和特派員 ニューヨーク報告 平和映画祭プロデューサー タナカ有美/平和の種
2010/12/10 海の果て 開戦69年 元兵士の記憶・下/生き延びて 「早くやめておれば」
2010/12/09 海の果て 開戦69年 元兵士の記憶・中/阿武隈沈没 湾の底重なる日本艦船
2010/12/08 海の果て 開戦69年 元兵士の記憶・上/真珠湾攻撃 「お国のため」一心に
2010/11/26 長崎平和特派員 ニューヨーク報告 初めまして・下/平和映画祭プロデューサー タナカ有美
2010/11/25 長崎平和特派員 ニューヨーク報告 初めまして・上/平和映画祭プロデューサー タナカ有美


邂逅の時
2人の被爆体験と継承

〈上〉 壮絶な記憶刻み65年
〈中〉 大工のこぎりで足切断
〈下〉 どう話せばいいのか

 長崎新聞が今夏実施した被爆者アンケートでは「最近、被爆当時の体験を家族や知人、若者に話しましたか」との問いに85%が「はい」と回答。被爆者がつらい記憶を伝えようと努める姿がうかがえたが「いいえ」と答えた13%の中には、語っても伝わらないいら立ちを記した被爆者もいた。65年ぶりに巡り合った2人。その記憶と被爆体験継承への思いを見詰めた。(敬称略)(報道部・山田貴己)




報道プリズム
被爆者アンケートを振り返る

 長崎新聞社は、核兵器廃絶の可能性や被爆体験の継承などに関し、7〜8月に被爆者200人にアンケートを実施。102人が回答し、8月9日付紙面に結果を掲載した。手書きやワープロで思いをびっしりと記して返信した被爆者も少なくなかったが、紙面では十分紹介できなかった。項目を絞り、あらためてまとめた。




ハルモニからの伝言
長崎の在日コリアン

〈1〉 日本渡航
〈2〉 炭鉱労働
〈3〉 戦後の混乱
〈4〉 遠い祖国
〈5完〉 国籍

 1910年の日韓併合条約締結から22日で100年。日本による植民地支配の下で生活に困窮し職を求める者や、徴用で連れてこられた労働者など多くの朝鮮人が海を渡った。長崎にも終戦時、6万人以上が生活していたと推定され、現在も約千人の在日コリアン(朝鮮籍・韓国籍)が暮らす。時代の荒波に翻弄(ほんろう)されてきた在日1世の高齢化が進む中、県内に暮らすハルモニ(おばあさん)の姿を通し、長崎の在日コリアンが歩んできた道のりをたどる。(報道部・蓑川裕之)




報道プリズム
シベリアの記憶−旧ソ連抑留問題

 戦後65年。厚生労働省によると、第2次世界大戦直後、旧ソ連によってシベリアなどソ連領内やモンゴルに抑留され、強制労働させられた元日本兵は約57万5千人。うち約5万5千人が、栄養失調や寒さなどで死亡したとされる。
 国は戦後、元抑留者に対する補償を拒み続けたが、今年6月、元抑留者に一時金を支給する戦後強制抑留者特別措置法(シベリア特措法)が成立。一つの節目を迎えたものの、元抑留者の平均年齢は今や88歳。「遅きに失した」との批判もある。元抑留者たちの遠い記憶をたどる。




報道プリズム
長崎大など最近の研究から

 長崎に原爆が投下されてから間もなく65年。原爆は熱線や放射線による急性症状で被爆者を死に至らしめただけでなく、生き残った者をも放射線による影響で苦しめ続けている。原爆放射線の人体への影響について、長崎大などが取り組んでいる最近の研究や成果を紹介する。(報道部・村田傑人)




終戦65年
戦争遺児の思い

〈上〉 亡き父は帰らず
〈中〉 石を形見代わりに
〈下〉 父の面影 求め続け

 太平洋戦争は広大な範囲に及び、子を持つ多くの父親たちが戦地に駆り出された。1945年8月15日、昭和天皇は玉音放送で日本の敗戦を公表。あれから65年。戦争で父を失った子どもたちはどのように生き、何を思うのか。「戦争遺児」を訪ね、太平洋戦争の断面を探った。




なにもかもなくした
松尾あつゆきの日記より

〈1〉 すべてを奪われて
〈2〉 困難に立ち向かう
〈3〉 生きる希望がない
〈4〉 ほんとうの淋しさ
〈5〉 死を無にするな!
〈6完〉 教え子と孫の思い

 長崎を代表する原爆俳人松尾あつゆき(1904〜83年)が被爆直後の心境をつづった日記類が見つかった。そこには、原爆で妻子4人を奪われた作家の、まことに哀切な心の叫びが記されている。被爆から65年。封印を解かれたあつゆきの「肉声」を日記から拾ってゆく。 (生活文化部・松尾潤)




被爆地の輪郭
核廃絶の潮流の中で

〈上〉 朽ちた死没者の声
〈中〉 2020ビジョン
〈下〉 広島と長崎

安全保障と経済競争、核テロの脅威など複雑に絡み合う国際社会。NPT再検討会議で、各国は核廃絶に合意しながらも核保有国の圧力で具体的な廃絶の行程確認は先送りした。日本政府はNPT未加盟のインドと原子力協定交渉に踏み出した。一方、潘国連事務総長や核保有国代表の被爆地への式典出席、ビキニ環礁の世界遺産登録など新たな動きも出てきた。核廃絶につながる道を探しながら被爆地を歩いた。(報道部・山田貴己)




扉を開いて
紙芝居で伝える平和

〈上〉 最良の継承法
〈中〉 得意な絵生かし
〈下〉 日本特有の文化

 被爆から65年を迎えた今年、被爆者は年々高齢化し、「被爆体験の継承」が大きな課題となっている。そんな中、誰もが幼いころ目にした「紙芝居」が体験の継承や核兵器廃絶を訴えるための手段として注目されている。紙芝居の可能性と携わる人々の思いを探った。 (報道部・荒木竜樹)




報道プリズム
キーワードで探る平和宣言文

 長崎原爆の日(8月9日)の平和祈念式典で市長が読み上げる平和宣言。毎年、宣言文起草委員会の論議を経て、原爆犠牲者の追悼と、核兵器などをめぐる国内外の情勢を踏まえた被爆地の主張を込める。幾つかのキーワードに着目しながら、黎明(れいめい)期から起草委で検討を始めた時代、そして昨年までを読み返し、被爆地の姿勢を示すメッセージとしての「平和宣言」の変遷を探った。(報道部・山田貴己)




浦上に生きて
胸に刻む歴史

<1> 原爆投下
<2> 浦上四番崩れ
<3> 神の摂理
<4> 再建
<5> 被爆マリア像
<6完> 記者の思い(報道部・村田傑人)

 1945年8月9日、長崎に原爆が投下されてからもうすぐ65年。爆心地に近いカトリック浦上小教区では当時所属していた信徒約1万2千人のうち約8500人が亡くなったとされ、信仰の拠点である浦上天主堂も倒壊した。キリシタン弾圧と原爆という苦難を経験した先人に思いをはせ、平和な世界の実現を願う信徒らの姿を取材した。(報道部・村田傑人)




被爆者を撮る
黒崎晴生の半生

<上> 原体験
<中> 出会い
<下> 伝える

 被爆者の表情や姿、生活をカメラで記録してきた写真家、黒崎晴生。その一枚一枚は、被写体となった被爆者と共同で作り上げた作品という。黒崎の足跡、被爆65年を迎える今の思いをつづる。(生活文化部・下釜智)




この空に響け 
合唱団「ひまわり」の被爆者たち

<上> 榎 省司さん
<中> 平原ヨシ子さん
<下> 山田一美さん

 被爆65年となる今年の長崎原爆の日(8月9日)の平和祈念式典に、長崎の被爆者だけでつくる合唱団、被爆者歌う会「ひまわり」(41人)が初めて出演する。式典冒頭、恵の丘長崎原爆ホームの被爆者らも加わった総勢75人で楽曲「もう二度と」を披露する。平和希求の歌声に被爆者たちはどんな思いを込めようとしているのか。(報道部・山田貴己)




報道プリズム
原爆症認定集団訴訟

 原爆症認定申請を却下された被爆者が国を相手に、処分の取り消しと国家賠償を求めた「原爆症認定集団訴訟」。本県第2陣の長崎地裁判決は20日に迫った。焦点は原告14人のうち、未認定のままの6人に対する判断。熱傷瘢痕(はんこん、ケロイド)の治癒の遅れや腫瘍(しゅよう)、入市被爆の放射線の影響などが判断される。被爆65年に当たり、認定をめぐる裁判の複雑な歩みと到達点などを探った。




約束
NPT再検討会議を超えて

<上> 定まらぬ評価
<中> 「伝える側」
<下> 複雑な世界

約190カ国が加盟する核拡散防止条約(NPT)再検討会議は、最終文書を全会一致で採択し5月末に閉幕した。イスラエル、インド、パキスタンなど実質的に核を保有している未加盟国は複数あるものの、加盟国の多さなどから最終文書は核と核兵器について現時点の人類が結んだ「約束」と言える。この一致点を足場に「核兵器なき世界」への道筋を模索しようとする被爆地・長崎を見詰めた。(報道部・山田貴己)




高校生平和大使の決意
被爆65年の節目に

<1> 青木政憲君
<2> 松永千幸さん
<3> 片山奈苗さん
<4完> 臼井小春さん、諸星佳織さん、
佐々木彰子さん

 被爆者の高齢化が進み、被爆の実相を世界に伝える重要性が一層増す中、本年度の高校生平和大使6人が決まった。被爆65年の節目に選ばれた高校生の素顔と決意を探った。




核兵器と叡智
NPT・ニューヨーク報告

<1> 米国の苦悩
<2> 被爆者の思い
<3> 理解の壁
<4> 新たな認識
<5> 平和市長会議
<6> NGOの熱気
<7> 浸透
<8完> 包囲網

 核軍縮、核不拡散、原子力の平和利用について5年ごとに確認し、方向づける約190カ国加盟の核拡散防止条約(NPT)再検討会議が、米ニューヨークの国連本部で続いている。今月上旬、会議に合わせて訪米した被爆者や非政府組織(NGO)関係者らは原爆の恐ろしさを伝え、国際的な連携を模索した。核兵器廃絶を目指す被爆者や市民の知恵、そして「核兵器なき世界」を掲げるオバマ大統領が指揮する原爆投下国の姿を見詰めた。(報道部・山田貴己)




踏み出す時
NPT再検討会議を前に

<上> 波乱要因
<中> 政府の姿勢
<下> 被爆地から

 世界の核軍縮、核拡散防止、原子力の平和利用について方向づける核拡散防止条約(NPT)再検討会議が5月3〜28日、米ニューヨークの国連本部で開かれる。核の恐ろしさを伝え、核廃絶へ向けて各国にプレッシャーを掛けるため、被爆地長崎からも多くの被爆者、市民が渡米する。オバマ政権下の米国を軸に核削減などを目指す動きが続いており、会議の行方に世界の目が注がれる。被爆国、そして人類は核廃絶への新たな地平に踏み出すことができるのか。(報道部・山田貴己)




伝言 被爆地から
<1> 片岡ツヨさん
<2> 本島等さん
<3> 鎌田信子さん
<4> 土山秀夫さん
<5> 山田拓民さん
<6> 秋月すが子さん
<7> 広瀬方人さん
<8完> 深堀好敏さん

 今月、核安全保障サミットなど米国を軸に立て続けに核をめぐる動きがあった。人類は核抑止論に縛られながらも、核兵器削減へと少しずつ向かいつつあるようにみえる。そして、約190カ国が加盟する核拡散防止条約(NPT)再検討会議が5月3日、米ニューヨークの国連本部で始まる。核軍縮、核不拡散などで価値ある「合意文書」を採択できるかが焦点。
 多くの被爆者らが現地に渡り、被爆の実相を伝える。一方で、被爆地長崎から会議の行方を見守る人々もいる。そんな被爆者、関係者の思い、つぶやき、分析を各国代表が集まるNPT会議への「伝言」として聞いた。




原爆投下国へ
NPT再検討会議に向けて

<1> 谷口稜曄さん
<2> 池田早苗さん
<3> 小峰秀孝さん
<4> 下平作江さん
<5> 田中熙巳さん
<6> 朝長万左男さん
<7完> 田上富久長崎市長

 米ロは3月、第1次戦略兵器削減条約(START1)に代わる新核軍縮条約で合意し、4月に調印の見通し。この流れを加速させたい被爆者らは、核と核兵器の取り扱いを方向づけるNPT再検討会議をにらみ「原爆投下国」へと向かう。被爆の原体験と渡米の決意を取材した。(報道部・山田貴己)




「核なきあす」を考える
 地球市民集会ナガサキ

<1> 梅林宏道氏
<2> 山田寿則氏
<3> 芝野由和氏
<4> 川崎 哲氏
<5完> 土山秀夫氏

 非政府組織(NGO)関係者らが集まり、「核なき世界」への道筋を考える国際会議「第4回核兵器廃絶−地球市民集会ナガサキ」が6〜8日、長崎市平野町の長崎原爆資料館などで開かれ、一般市民も自由に聴講できる。実行委員長や分科会、全体会議のコーディネーターらに、核をめぐる現状や、それぞれのテーマ設定の狙いなどを聞いた。 (聞き手は報道部・下釜智)




被爆遺構を考える
 住吉トンネル工場跡3月公開

 戦争末期、空襲に備え、現在の長崎市住吉町から赤迫1丁目にまたがる山腹をくりぬいて造られた「三菱兵器住吉トンネル工場」。昼夜兼行で航空機魚雷の部品を生産した軍需工場で、爆心地から約2・3キロの被爆遺構でもある。被爆直後から負傷した大勢の被爆者が逃げ込んだ。長年、市民団体などが保存と活用を求めてきたトンネル工場跡の一部が市によって整備され、被爆65年の今年3月末から公開される。被爆者が高齢化し、都市再開発などで被爆遺構が消える中、この「歴史の証人」は私たちに何を語り、問い掛けているのだろうか。(報道部・下釜智)










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