NAGASAKI PEACE SITE

2009年 原爆・平和企画

私はこう思う
 被爆地五輪インタビュー

<1> 山田拓民氏
<2> 菊森淳文氏
<3> 松藤悟氏
<4> 岡崎寛氏
<5> 宮原照彦氏
<6> 平野伸人氏
<7> 高田明氏
<8> 脇義重氏
<9完> 藤泉氏

 広島市の秋葉忠利市長、長崎市の田上富久市長が2020年夏季五輪を被爆両市に招致する意向を表明した。国内選考に手を挙げるか否か、近く発足させる検討委員会で調査・協議し、来年2月をめどに一定の結論を出す考えだ。だが、五輪憲章は複数都市の共同開催を認めておらず、財源を含め広島、長崎で受け入れが可能か課題は山積みだ。被爆者ら長崎市民、関係者は五輪招致をどう見ているのか。




「核密約」を問う
 被爆者・識者インタビュー

〈上〉 川野浩一氏
〈中〉 篠崎正人氏
〈下〉 新原昭治氏

 鳩山新政権は米軍核搭載艦船の日本通過・寄港を黙認する日米両政府の「核密約」などを解明するため、外務省に調査チームを発足させた。密約問題や調査の意義をどう考えるか、新政権に何を求めるかなどについて被爆者や識者に聞いた。




被爆者を乗せて
 救援列車の記憶
 =続編=

<1> 榊安彦さん(長崎市)
<2> 北村志津子さん(長崎市)
<3> 上村紀元さん(諫早市)
<4> 近藤原理さん(北松佐々町)
<5> 安日涼子さん(長崎市)
<6完> 記者ノート 山口恭祐(佐世保支社)

 長崎市に原爆が投下された1945年8月9日から運行された救援列車にまつわる出来事を各地で取材した「被爆者を乗せて 救援列車の記憶」(8月11〜16日付、全6回)を掲載後、反響が寄せられた。それを基に、新たな記憶の糸をたぐる。(佐世保支社・山口恭祐、石田謙二)




被爆者を乗せて
 救援列車の記憶

<1> 早岐
<2> 諫早
<3> 松原
<4> 川棚
<5> 早岐その2
<6完> 浦上

 被爆者を救おうと運行された救援列車。各地で住民らが懸命に救護に当たり、惨状はまぶたに焼き付いた。しかし、当時を知る人が減り、忘れ去られつつある。列車の記憶を掘り起こした。




閃光に消えた町
 私たちは爆心にいた

<1> 地図
<2> 無人の里
<3> 光の塊
<4> 責め苦
<5完> 復元

 地図上に復元された爆心地から約300メートル圏内の町。ここで被爆しながら奇跡的に助かったり、たまたま爆心地から離れた場所にいたため難を逃れた住民がいる。被爆から64年目の今、どんな思いを抱いているのだろうか。「消えた町」のかつての住民の元を訪ねた。(報道部・下釜智)




2009語り継ぐナガサキ
核なき世界へ

<1> 松田 斉
<2> 山口義雄
<3> 谷 恵美子
<4> 草野十四朗
<5完> 西山進

 「核なき世界」を目指すと宣言したオバマ米大統領の演説は、停滞していた国際社会の核廃絶への歩みを突き動かした。ただ、北朝鮮やイランの核開発など難題は多く、道のりは平たんではない。「核なき世界」実現を後押しするため、戦争を、原爆を、そして平和を市井で語り伝える人たちに迫る。




被爆樹とともに
 記憶伝えた64年

<1> 悟真寺のザボンの木など
<2> 江里町のカシの木
<3> 若草町のカキの木
<4> 長崎原爆資料館のツツジとマツ
<5> 稲佐小のクスの木
<6完> 長崎西高のクスの木

 長崎に原爆が投下されてから、まもなく64年目を迎える。被爆者の高齢化に伴い被爆体験の継承が課題となる中で、原爆の傷跡を残しつつも力強く生き続け、平和の大切さを無言で訴える「被爆樹」。その現状と、取り巻く人たちの思いを紹介する。(報道部・荒木竜樹、写真部・山口隆行)




全面救済を
 原爆症認定基準見直し

<上> 基準改定
<中> 線引き
<下> 行政判断

 原爆症の認定基準をめぐり、甲状腺機能低下症と慢性肝炎・肝硬変が新たに積極認定の対象疾病に加えられた。5月の原爆症認定集団訴訟の東京高裁判決を受けて国が上告断念し、基準緩和に結び付いた。だが「放射線の起因性」が認定条件に付けられ、課題はなお残る。被爆者らが求める全面救済は実現するのか。険しい道のりを検証する。




核なき世界へ
 NPT準備委・訪米報告

<上> 世論
<中> 温度差
<下> 一歩

 二〇一〇年核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向け、ニューヨークの国連で開かれた準備委員会は核軍縮への議論を前進させて十五日(現地時間)閉幕した。オバマ米大統領が「核兵器のない世界」を追求すると宣言した四月のプラハ演説に被爆地の期待が高まる中、準備委に合わせて長崎から田上市長や被爆者らが訪米。核廃絶を願う被爆地の声を届けた。現地での表情を報告する。(報道部・下釜智)




被爆写真検証30年  
深堀好敏さん

 原爆投下後の破壊された長崎の街や殺傷された人々の姿がありのままに記録された写真を三十年間、検証してきた被爆者がいる。財団法人・長崎平和推進協会写真資料調査部会長の深堀好敏(79)。長崎市は長崎原爆資料館(平野町)に保管する約三千枚をデータベース化しているが、そのほとんどは当初、撮影者による説明が書かれておらず、どこで撮られたのかさえ不明なものが大半だった。深堀は仲間と現地調査などで一枚一枚を検証。被写体をヒントに撮影時期や場所、爆心地からの距離や方位などを割り出す地道な作業を続け、被爆の実相を伝える貴重な資料としてよみがえらせてきた。その原点は、一瞬にして街も多くの命も消えた「あの日」にある。(報道部・下釜智、写真部・柿本忠史)










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