NAGASAKI PEACE SITE

2008年 原爆・平和連載企画

核不拡散の岐路 
=米印協定・被爆地インタビュー=
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土山秀夫氏
山田拓民氏
田上富久氏

 核兵器製造につながる核燃料や関連資機材などの輸出を管理する原子力供給国グループ(NSG、日米など四十五カ国)が今月、核拡散防止条約(NPT)未加盟のインドへの禁輸措置解除を特例扱いで認めた。米国、インド両国が目指す米印原子力協力協定は今後、米議会での承認に焦点が移るが、発効に向けた最大の関門を突破したことになる。協定の影響などについて被爆地・長崎の三人に聞いた。



鍋に拾った母の骨 
=築地重信さん 静止した記憶=
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10歳、原子野を自宅へ
被爆孤児として施設へ
「語り部画」に生きる

 長崎原爆で育ての母や祖父を失い、原子野に一人取り残された十歳の少年−。惨劇を伝えるすべを求めて、長崎市戸石町の築地重信さん(73)は、被爆体験を克明な絵にして再現、「語り部画」と自ら名付け、描き続けている。二〇〇二年に出版した画集「母の風景」収載作に未発表の作品を加え、築地さんの“静止した記憶”をたどった。(生活文化部・山下昭子)



沈黙
=被爆遺構=
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被爆カキの木
弁財神社の鳥居
三菱重工長崎研究所船型試験場
常清高等実践女学校のれんが
語る者、語らない者

 長崎に原爆が投下されてから、まもなく六十三年。被爆遺構が、時代の流れや都市化とともに、次々と姿を消している中で、今もなお被爆の実相をまざまざと伝える“もの言わぬ被爆者”たちを紹介する。



届けメッセージ
=8・6稲佐山平和コンサート=
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継承
広がる輪

 毎年「広島原爆の日」の八月六日に、同じ被爆地である長崎市の稲佐山で開かれる平和コンサート。同市出身の歌手さだまさしさんが二十年にわたって開き全国的に知られたが、二〇〇七年から地元有志が引き継いだことで新たな展開を見せ始めている。(生活文化部・小出久)



苦難乗り越えて
=被爆者・吉田勝二の63年=
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帰宅
被爆
苦悶
支え
発信

 昨年五月、長崎市内の中学生の手によって一冊の絵本が完成した。絵本のモデルとなったのは被爆者の吉田勝二(76)=同市片淵二丁目=。絵本は紙芝居に形を変え、県内各地で上演。今年六月には、北海道洞爺湖サミットに合わせ札幌市で開かれた原爆展でも披露された。原爆の痛みと偏見に苦しみながらも、自らの体験を子どもたちに伝え続ける吉田勝二。その生涯に迫る。(報道部・宮本宗幸、写真部・永尾藍)



手帳
=被爆63年・長崎=
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背負う枷
偽り

呪縛
私は被爆者

 被爆者とは誰のことなのか−。その問いに多くの人は「原爆に遭った人」と答えるのではないだろうか。しかし、新聞やテレビに登場する被爆者とは、被爆者健康手帳を持っている人を指している。被爆者援護法に基づき被爆者であることを証明できる手帳。でも本当にその人たちだけで「被爆者」をくくっていいのだろうか? そんな疑問をいろいろなケースから考えてみた。(報道部・豊竹健二、写真部・森慶太)



消えた女学校
=常清・被爆63年目の証言=
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前夜
投下
現実
閉校
平和

 一発の原爆は、ショファイユの幼きイエズス修道会を母体とした常清高等実践女学校(爆心地から〇・六キロ)の校舎を壊滅させ、多くの教職員と生徒の命を奪った。事実上、原爆で校史を閉じた常清の関係者の証言、平和への思いをつむぐ。(報道部・下釜智)



全員勝利を
=原爆症長崎訴訟判決を前に=
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裁判
新基準
ハードル

 原爆症認定を求める集団訴訟の長崎地裁判決が二十三日に迫った。二〇〇三年四月の初提訴から約五年二カ月。司法に希望を託した原告二十七人が、その判断を待つ。原告の思いに迫った。(報道部・豊竹健二)



在外被爆者は今
=検証・改正援護法=
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時間
証明
思い

 長崎や広島で原爆に遭い、現在は海外に居住する在外被爆者。日本の植民地支配下、日本に仕事を探し求めたり、徴用された朝鮮半島出身者のほか、戦後に米国や南米に渡った日本人も多い。在外被爆者が置かれる現状や残された問題、思いを報告する。








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