
|
<22>
|
第二回原水爆禁止世界大会が一九五六年八月九日に長崎市で開かれるのを前に、被爆者らの組織づくりが進んだ。同年六月、長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)が誕生。結成式には約千人が参加した。
世界大会開催は、五四年にアメリカの水爆実験で死の灰を浴びた第五福竜丸が契機となった。「原水爆の悲劇を二度と繰り返すまい」という一文で始まる被災協結成を呼び掛ける文章は、全国に広がった反核の声そのものだった。
山田拓民長崎被災協事務局長は「会の発足は被爆者、遺族らの切実な願いが根底にあった。今でも私たちを苦しめている原爆の恐ろしさと、二度と戦争を起こさせないという意志を多くの市民に伝えねばならない」と力を込めた。
【写真説明】「第2回原水爆禁止世界大会」を伝える長崎日日新聞(長崎新聞の前身)
2005年6月19日長崎新聞掲載
|