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原爆によって外壁だけを残し破壊され、”被爆のシンボル”だった旧浦上天主堂の取り壊し作業は、一九五八年三月十四日から始まった。
廃虚と化した同天主堂をそのまま保存するかどうかは、市議会でも議論された。貴重な被爆遺構として現地保存を求める市民の声も強かったが、五七年、「天主堂再建のため取り除く」考えが教会側から伝えられ、市側が一部を譲り受け移築する方針を決定。取り壊しが始まった。
原爆に遭いながらも残った頑強な造りの外壁。解体作業は困難を極めた。新しい天主堂が完成したのは五九年十一月。旧天主堂の一部は爆心地公園に移設された。
【写真説明】取り壊しが始まった被爆後の旧浦上天主堂=1958年3月14日
2005年3月13日長崎新聞掲載
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