「第五福竜丸」被ばく 1954年3月1日

3・1ビキニデー長崎集会

あの日あの時
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 米国が南太平洋のビキニ環礁で水爆実験を行い、約160キロ離れた海域で操業していた静岡県焼津港所属の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員23人が被ばく。全員が急性放射能症にかかり、約半年後、乗組員で無線長の久保山愛吉さん=当時40歳=が亡くなった。

 日本の原水爆禁止運動に火を付け、翌年の8月には、被爆地広島で第1回原水爆禁止世界大会を開催。3月1日を記憶に刻み、毎年全国各地で核廃絶を訴える集会が開かれている。

 県平和運動センター単産被爆者協議会連絡会議(被爆連)の奥村英二事務局長(66)は今年、静岡県で開かれるビキニデーの全国集会に参加する。「久保山さんの死を忘れずに反核運動を続け、次世代に継承しなければ」と語気を強めた。

【写真説明】1980年の3・1ビキニデー長崎集会。核軍拡競争を厳しく批判した
2005年2月28日長崎新聞掲載

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