
2004年 原爆・平和連載企画
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=ナガサキの課題=
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「私たちは、もうすぐいなくなる」―。口癖のようにそう語る被爆者がいる。長崎は来年、一九四五年八月九日の原爆投下から六十周年を迎える。「長崎を最後の被爆地に」。核兵器廃絶と世界の恒久平和を願う中心には、いつも「あの日」の原子野を生き抜いた被爆者たちがいた。だが、六十年の時を経ようとする今、その平均年齢は七十歳を超えた。被爆者の多くが「最後の節目」と話す六十周年を前に、被爆地・長崎の課題を考える。 |
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=在韓被爆者援護の今=
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県と長崎市は十月上旬、被爆者医療に詳しい医師七人を韓国中部の大田、平澤両市に派遣、在韓被爆者の健康相談を実施した。国の在外被爆者支援事業の一環で、七月の陜川に続き二回目。国外からの健康管理手当申請を認める司法判断が下されるなど、在外被爆者援護の在り方が再び注目される中、医師団に同行し、その意義と課題を探った。(報道部・高比良由紀) |
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=私の太平洋戦争=
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太平洋戦争終結から五十九年目の夏。二十一世紀となった今も、悲惨な戦争体験を背負い、さまざまな思いを抱きながら生きる人たちがいる。そんな戦争体験者の声、心の叫びに耳をすませ、「不戦の誓い」を伝える。 |
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−59年目の夏−
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一万点を超す被爆資料を収蔵している長崎原爆資料館。原爆投下から五十九年になる今でも、家族を奪われた遺族らが核兵器廃絶への願いを込め、あの日の「証人」を寄せてくる。形見として大切に保管していた遺品や爆風と熱線のすさまじさを物語る資料に込められた思いを寄贈者に語ってもらった。 |
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=伊藤市政の軌跡=
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一九九五年に長崎市長に就任した伊藤一長(58)。被爆地長崎の「顔」となって、今年十回目の夏を迎えた。核兵器廃絶への光がみえた二十世紀の末と、これに反する暴力と報復の連鎖で幕を開けた二十一世紀に、被爆地はどう立ち向かってきたか。平和行政の軌跡をたどり、来年に迫った被爆六十周年への課題を探る。(報道部・田崎智博) |
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=原爆戦災誌改訂へ=
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原爆被害の実態を膨大な資料や証言で記録した「長崎原爆戦災誌」(長崎市編さん、全五巻)の改訂作業が始まった。第一巻の発行から二十七年。被爆体験の風化が時間の経過とともに深刻化していく一方、新たに判明した歴史の事実もある。改訂作業に携わる二人の被爆者の思いや五十九年目の検証の現場を紹介する。(報道部・向井真樹) |
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=長崎の被爆遺構=
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長崎に原爆が投下されてから五十九年。被爆の実相を、静かに、雄弁に語り継いできた建物や樹木が、時の流れとともに少しずつ姿を消している。都市開発やさまざまな事情で、消えた”原爆の証人”を通し、被爆地長崎の今を考える。(報道部・高比良由紀) |
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=被爆地からNPT準備委へ=
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伊藤長崎市長が四月末、ニューヨークで開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議準備委員会に出席、NGOセッションで演説した。恒久平和と核兵器廃絶を願う被爆地の願いをよそに、米中枢同時テロやアフガニスタン攻撃、イラク戦争で幕を開けた二十一世紀。核拡散や核兵器使用の足音が消えない不穏な世界に、被爆地長崎の声はどう届いたのか。(報道部・高比良由紀) |
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=在韓被爆者リポート=
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在外被爆者に、被爆者援護法に基づく健康管理手当などの各種手当が支給されるようになって間もなく一年。在外被爆者約五千人のうち、約千三百人が手当を受け取っているが、来日できない被爆者への援護は閉ざされたままだ。高齢と病気、貧困にあえぐ在韓被爆者の現状と、手続きに来日を前提としている援護法の問題点を探る。(報道部・高比良由紀) |