土山秀夫実行委員長
海外のNGOの皆さん、日本のNGOの皆さん、そして長崎市民の皆さん、ようこそ「核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ」に参加くださいました。実行委員会を代表して心から歓迎申し上げます。 いま地球上では、法を無視した暴力と報復の悪循環が繰り返されています。暴力を使う側も、報復を行う側も、ともに正義はわれにありと主張します。そしていつも犠牲になるのは、圧倒的に一般市民なのです。こうした時代であればこそ、核兵器廃絶を求めてここに集う私たちは、あらためて核兵器被害の原点を見詰め直すことが重要なのではないでしょうか。 五十八年前の八月九日、原爆という超暴力が長崎の町に襲い掛かりました。即死に近い人は一瞬の地獄を見、数週から数カ月生き延びた人は、数週から数カ月の地獄を見ながら死んでいきました。その数七万四千人。辛うじて生命を取り留めた人には、新たな地獄が待っていました。 これらの人々の大部分は、一家の働き手である三十歳代から五十歳代の肉親を失っていました。そのため、たちまち戦後の生活苦にさらされました。また原爆被害への無知も手伝って、さまざまな社会的差別も受けました。被爆者であるために就職を断られ、結婚を断念させられたり離婚を余儀なくされた者など、被害は特に女性に集中しました。その時期、絶望のあまり自殺者が多発した事実が報道されたのは、戦後十年近くたってからのことでした。米占領軍による報道管制の結果でした。 貧困に加えて治療費捻出(ねんしゅつ)のための経済的負担増加、家族を失った言い知れない喪失感や被爆時に取りすがった人を救出できなかった罪悪感―こうしたことに必死に耐え抜いた人々の上に、さらに新たな試練が加わりました。二年目ぐらいから徐々に増えていく白血病による死亡は、被爆後五年から七年にかけてピークに達しました。しかもこれまでの医学的経験は、白血病以外にも甲状腺その他のがん発生が、近い将来、起こり得ることを予知していたのです。被爆者は見えない日々の恐怖にさらされました。 被爆者の中には自らの運命をのろい、日本の政府を恨み、そして何よりも無差別な原爆を投下した米国を憎む人たちも少なくありませんでした。もし彼らが米国に対してその報復を誓ったとしても、それほど不思議ではなかったことでしょう。しかし彼らは、あえてそうした道を選ぼうとはしませんでした。なぜだったのでしょうか。それは恐らく被爆者の立場によって、異なる思いがあったに違いありませんし、共通の理由を見いだすことはたぶん不可能だろうと思います。 ただ憎しみの対象を相手の国の人間に対してではなく、核兵器という無機物に対して振り向けた一つの動機は、確信を持って言える気がします。原爆の持つあまりに非人道的な残虐性の故に、相手に対して生涯にわたる同じ苦しみを与えるのは、人間としてとうてい忍びない、とする思いがあったに違いない点です。その結果、悪循環しか生まない報復という名の暴力に訴えるのではなく、あくまで非暴力の下に、被爆者はただ一つ「核兵器廃絶」へと全エネルギーを注ぐ決意を固めていったのです。「ノーモア ヒロシマ ノーモア ナガサキ」そして「長崎を最後の被爆地に」とのスローガンには、こうした被爆者の万感の思いが込められているのです。 米国の黒人解放指導者マーチン・ルーサー・キング牧師が、「非暴力主義における攻撃の目標は、悪を行う人間に対してではなく、悪そのものの力におかれる」とした社会哲学にも通じる理念といえるでしょう。牧師はまた「苦痛を甘んじて受ける非暴力抵抗者にとって、苦痛は、人を教育し変化させる大きな力である」とも説いています。その言葉には、苦難に満ちた被爆者の人生と、核兵器廃絶に打ち込む彼らの姿とが二重映しとなって連想されます。 ただここで私たちは、被爆者を単に美化し、悲劇の主人公として祭り上げるべきではありません。そうすることは、被爆者をむしろ一般の人たちから遠ざける結果を生みだしかねないからです。私たちに求められるのは、生身の人間である被爆者の訴えに真摯(しんし)に耳を傾け、そこから勇気を与えられ、そして私たちの運動の正しさを再確認することであると思います。 渡辺千恵子さんという女性がいました。彼女は十六歳の女子学生時代に長崎で被爆しました。その時の重い外傷によって彼女は下肢の障害を起こし、歩行できなくなりました。放射線による強い貧血にも侵されました。それでも彼女は母親に背負われながら、死の間際まで被爆者運動に身をていしました。その手記の一節には、こう書かれています。「私は原爆から受けた被害に二十五年耐えているだけにとどまることはできません。みずからの手で原爆の被害をとりのぞき、核も基地もない新しい日本の生き証人となりたいのです。もし私に、母に、なお生きて残る幾歳月が与えられるとするならば(核兵器のない世界)(大量殺りくのない世界)のはじまりを告げる長崎の鐘の音を聞きたいと願います。私はごらんのとおり、ひとりではどこにも行けない身体です。しかし私は核兵器のない世界には這(は)ってでも参ります」 そうです。私たちは彼女が這ってでも参加してくれる、核兵器のない世界の実現を目指す責任があります。そこに至る道のりはたとえどのように険しくとも、彼女と同じ無念の思いで死んでいった十数万人の被爆者の死を無駄にすることはできません。 今回の集会における分科会では、主として論理的かつ理性的な討論が繰り広げられることでしょう。その意味で私は、この開会集会において、あえて感性に訴える部分のみを強調しました。どんなに論理的かつ理性的な討論であっても、その中に、被爆者の悲願に応える情熱を期待するからにほかなりません。 海外のNGOの皆さん、日本のNGOの皆さん、そして長崎市民の皆さん。かたくなに「核神話」を信奉する国の指導者に対して、その心を変えさせ得るのは、結局、私たち市民の力です。人間の手で造り出された核兵器であれば、市民である人間の手によって廃絶させることが可能なはずです。ここ被爆地ナガサキに集う私たちは、ともどもに力強く誓いたいと思います。地球市民の名において、核兵器のない世界の実現に向けあくまで粘り強く、あくまで着実に、そして絶対にあきらめることなく前進し続けることを。
2003年11月23日長崎新聞掲載
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