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長崎アピール2003(全文) 21世紀が始まるや、核兵器の拡散と使用の危機が劇的に高まった。最後の被爆地として長崎はこの危険な傾向を阻止し、核兵器のない世界に向けてゆるぎなく歩み続けることを決意した。 21世紀は、暴力と報復の連鎖によって幕を開けた。2001年9月の米国における同時多発テロとそれに続くアフガン戦争、また大量破壊兵器保有の疑惑を理由とした2003年3月のイラク戦争。一方、ブッシュ政権による核態勢の見直しと新しい核兵器使用政策の推進、北朝鮮による核兵器開発をてこにした瀬戸際外交の展開。そこには常に、核兵器に新たな役割を与えようとする思惑が交錯し、核兵器廃絶への流れは大きく阻害されようとしている。 こうした折り、私たち地球市民は3年前に続いて再び被爆地長崎に結集した。原点である被爆者の魂の叫びに耳を傾け、被爆地市民の核兵器廃絶へ賭ける不変の情熱に触れるために。 被爆者の多くは、原爆による心と体の傷に加えて、58年間、今なお放射線による後障害にも苦しめられ続けている。また、被爆者の2世、3世も健康への不安を抱えている。彼らはそのことに耐えながら、どうすれば核兵器廃絶を実現できるかを絶えず学習し、その運動に打ち込んでいる。被爆者は今や単なる受難者にとどまってはいない。核兵器の保有や開発を正当化する権力者の主張を鋭く分析し、裏に隠された意図を見抜き、次のように厳しく批判する。 核保有国は核兵器を「大量破壊兵器」という一連の呼び名に埋もれさせる一方で、核保有国にとって何よりも重要なのは、核の拡散を防ぐことだと強調する。特に米国は、対テロ戦争への対策の一環として、新たな小型核兵器や地中貫通型核兵器の研究を進め、そして核実験の再開準備を当然のように推進する。小型核兵器を通常兵器の延長線上にあると言い含め、核兵器をただの兵器に見せかけて使いやすくしようとしているのだ。対テロ戦争といえばどんな使い分けでも許されると思っているのだろうか。そうした考えが必ず他の国の追随を招き、新たな拡散を生むことを理解しているのだろうか。声高に核不拡散を叫びながら、実は核の拡散を促しているのは一体どこの国なのか。2000年5月、NPT(核不拡散条約)再検討会議で採択された「核保有国は、保有核兵器の完全廃棄を明確に約束する」とした精神はどうなったのだろうか。政府が自ら約束したことを黙殺し、むしろこれに逆らう核軍拡に走るほど、大国の信義は地に落ちてしまったのか、と。 私たち地球市民は、こうした被爆者の素朴な問いかけに対して、核保有国も保有疑惑国も核の傘に依存する国も、真摯に答える義務があると考える。いかに弁明しようとも、核兵器のもたらす惨害は人道に対する罪、国際法に違反する罪として、世界の人々から永久に糾弾されねばならないと信じるからである。 長崎での3日間の討議を終えた私たちは、核の危機の中にも被爆者の変わらぬ決意や若い人々の活力など未来への希望を見出した。今ここに地球市民の名において、世界中の人々に、次のことを心から呼びかける。
平和市長会議が、2005年に向けて「核兵器廃絶のための緊急行動」を決定したことに、私たちは強く勇気づけられている。この運動の成功の鍵は、世界中の都市における市民の行動にかかっている。市民と市長が連携して2005年NPT再検討会議を取り巻く大きな国際世論を形成しよう。そのために非核宣言自治体の国際的連帯が望まれる。 被爆国日本が核兵器廃絶のために特別の役割を担っていることを心から訴えたい。私たち地球市民は、日本の中に核兵器を容認する政治的風潮が強まっていることを憂慮する。初心に返って被爆者の肉声にもう一度耳を傾けよう。そして、日本自身が核兵器への依存から脱却し、核兵器廃絶への国際政治に信頼される指導力を発揮するよう期待する。 最後に、ヒロシマ、ナガサキ被爆60周年にあたる2005年に向けて、世界中の市民が自治体を動かし、議員に働きかけ、核兵器永久禁止を求める広範な世論を形成するために行動することを、私たちは訴える。
(2003年11月25日長崎新聞掲載)
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