NAGASAKI PEACE SITE

2003年 原爆・平和連載企画


核なき世紀を語る
=地球市民集会ナガサキを前に=
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萩野弘巳さん
田崎昇さん
森滝春子さん
朝長万左男さん
舟越耿一さん
山田拓民さん
田巻一彦さん
梅林宏道さん

 反核や平和のために行動する世界の非政府組織(NGO)が集う「第二回核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ」が二十二―二十四日、被爆地長崎で開かれる。二十世紀最後の年となる二〇〇〇年、「核なき新世紀」への願いを込めて一回目を開催。その後、核兵器をめぐる世界情勢は一気に暗転、核使用の可能性さえ危ぶまれている。この危機を「地球市民」はどう乗り越えていくのか。開幕を前に、分科会やフォーラムに出席する関係者に現状や課題を聞いた。


「戦争」を語る
=それぞれの8・15=
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本田哲郎さん
田川禮子さん
高松高雄さん
福田藤江さん

 あす十五日は終戦記念日。長崎原爆の日の「長崎平和宣言」で「核軍縮は崩壊の危機」と強い懸念が示されるなど、世界はまた、危険な方向に進もうとしている。国内でも有事関連法やイラク特措法の成立で、「戦争」が再び身近になった。戦後五十八年。当時の記憶は薄らぎつつある。戦争体験者や原爆、空襲に遭ったり、戦後の中国で看護婦として働いた人を通して、「戦争」「平和」を考える。





我れ重層する歳月を経たり
=父 山田かんの軌跡=
山田貴己(長崎新聞記者)
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生涯かけ原爆凝視
目を見開き情景記憶
むごい記憶に子の姿重ね
貧困下 自死した妹想う
信仰に失望とあこがれ
批判精神やむことなく
批評せよ、目をそらすな

 詩人の山田かん(本名・山田寛)が六月八日、諫早市内の病院で息を引き取った。七十二歳だった。五十八年前の八月九日、旧制長崎中三年の十四歳の時、長崎市下西山町の自宅で妹と被爆。以来、原爆による殺りくの実情を凝視するとともに、詩やエッセーを通して最期まで原爆や社会の不条理を告発し続けた。昨年末、息子として詩作の原点を直接聞いておこうと、出生から被爆、戦後の体験までを取材していた。息子の目で父山田かんの生きた軌跡をたどり、メッセージの意味を考える。)


遺影は語る
=国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館=
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谷崎昭治さん
川崎遼子さん
北尾綾子さん
土山一也さん
川上正徳さん

 原爆はあらゆる人たちの命を奪った。六日に開館したばかりの国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館(長崎市平野町)に足を運ぶと、犠牲者の遺影を見ることができる。これまでに二千七百人以上が登録された。その一人ひとりが確かに生きていた。写真の中のさまざまな表情は、見る者にそう実感させる。写真を託した遺族に、犠牲者の生きた証しやさまざまな思いを聞いた。 (報道部・森永 玲)





祈りと水の世界へ
=国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館=
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水 盤
追悼空間
遺影・手記閲覧室
交流ラウンジ
平和情報コーナー
地下1階

 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館(長崎市平野町)が七月六日、開館する。約四十四億円をかけた施設は平和祈念・死没者追悼に加え、平和を目指す国際協力・交流、被爆関連資料・情報の収集・利用の機能を特徴とする。開館を前に主なコーナーを紹介する。(報道部・森永玲)


女たちの佐世保空襲
=私の6・29=
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宮脇明子さん
初瀬蔦枝さん
西尾房子さん、馬郡薫さん

 終戦直前の一九四五(昭和二十)年六月二十八日深夜から二十九日未明にかけて、千人を超す犠牲者を出した佐世保空襲。あれから五十八年。今、空襲の実相と戦争の悲惨さ、平和の尊さを次代に伝えようと、証言や語り部活動が広がりを見せている。二十九日を前に、空襲に遭遇した四人の女性に「あの日」の体験を聞いた。(佐世保)


この声を聞いて
=在韓被爆者リポート=
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困難極める被爆の証明
国の説明なく混乱
思い病状 厳しい来日
請求事務や渡日手配
先行する民間支援(完)

 在外被爆者の援護問題は、韓国人被爆者が起こした裁判で健康管理手当の支給を命じる判決が相次ぎ、司法では救済の流れが確定的になった。日本政府も昨年末、手当に関しては支給する方針に転じたが、具体策はまだ見えない。「日本と同じ援護を」と声を上げる韓国人被爆者の現状をリポートする。(報道部・高比良由紀)


援護に国境なし
=李康寧さん控訴審勝訴=
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争点なき判決
残る課題






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