NEWSあんぐる・追悼平和祈念館が7月6日開館
被爆者援護法に基づき国が建設した国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館。長崎市の長崎原爆資料館横に完成するまで紆余(うよ)曲折があったが七月六日、開館する。十年以上にわたる経過を振り返り、祈念館の意義を考える。(報道部・向井真樹)
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「弔意」を形に
「原爆死没者に対し、国の弔意を形で示したい」。一九九〇年、海部首相の発言が具体的な祈念館計画の始まりだった。翌年、旧厚生省内に設置された基本構想懇談会が、死没者の慰霊と平和祈念などを目的にした施設建設を提唱。九四年十二月成立の被爆者援護法で「平和を祈念するための事業」として明確に位置付けられた。
九五年、国は広島(昨年開館)、長崎に建設する祈念館のための開設準備検討会を設置。翌年には地元の声を計画に反映させる委員会が長崎市に発足した。
被爆者の憤り
計画は具体化の方向で動き始めたが、祈念館に対する地元委員会の意見は一つではなかった。九七年の会合では、県被爆者手帳友の会の深堀勝一会長が「税金の無駄遣い。祈念館より被爆者の養護ホームが先決」と強く求め、途中退席する一幕もあった。
被爆者らの根底には、国に訴え続けてきた死没者への個別弔慰と国家補償の文言が抜け落ちた援護法が成立したことに対する憤りがあった。「祈念館は、国家補償をしたくない国の代償措置」。この思いは今も被爆地長崎に残る。
被団協代表委員の山口仙二さんは「原爆による特殊な犠牲となった被爆者は祈念館の完成で矛先を収めるわけにはいかない」、県平和運動センター被爆連の築城昭平議長も「個別補償は別問題として求めていく」とくぎを刺す。
3年遅れ着工
九八年には衆院厚生委員会で小泉厚相(現首相)が「(長崎原爆資料館などと)屋上屋を架している。再検討すべき」と発言。建設計画が大詰めを迎えていたときだけに被爆地は揺れ、被爆者に対する国の認識を疑問視する声が相次いだ。
二〇〇〇年十一月、ようやく本体工事に着手し、開館は当初計画から三年遅れた。
地元委員会の土山秀夫委員長は「死没者を悼み、二度と原爆の惨禍を招かないために建設した施設。今後の運営が重要だが、世界に平和を発信する機能が高まる」と期待する一方、被爆地の悲願である核兵器廃絶に向けた国の取り組みについては「形ある実行の気配が見えない」と語る。
祈念館は長崎平和推進協会に運営が委託されるが、国が核兵器廃絶に向けた決意を「被爆国」として政策に反映させることを誓う証しであることに変わりない。
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