
2002年 原爆・平和連載企画
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=終戦から57年=
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「終戦の日」が近づいてきた。戦争体験者の高齢化は進み、活動が途絶えつつある戦友会や遺族会も少なくない。戦争を語り継ぐのは、もはや、体験者一人ひとりとも言える。戦後五十七年。米国はテロへの「報復」を大義に軍事行動を展開し、日本はそれを支援している。消えゆく戦争の記憶と、語り手として今、動きだした人たちを紹介する。
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=原爆症集団申請=
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原爆放射線に起因する病気やけがを国が認定する原爆症。認定率は低迷を続け、年老いていく被爆者たちは「われわれを救済するための制度ではないのか」と怒りをあらわにする。原爆投下から五十七回目の今夏、日本被団協は、全国一斉に原爆症の集団申請に踏み切った。本県からは十五人が参加。その中には、初めて申請した人、数度の申請を却下された人など、認定の外に生き、苦しみ続けてきた人たちがいる。彼らの思いを通して、今回の集団申請の意義を考える。(報道部・高比良由紀) |
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=『あの日』見たナガサキ=
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NHK長崎放送局、長崎市、長崎新聞社などが、被爆体験を風化させず市民が平和に思いをめぐらすきっかけに、と三十一日まで募集している「被爆者が描く『原爆の絵』」に、全国の六十人から計百五十八点が寄せられた(二十二日現在)。作品は、言葉では語り尽くせない生きた“証言”で、原爆投下直後の長崎の風景を如実に表現したものばかり。この中から十六点を紹介する。 |
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みなさんは心に残るメロディーがありますか。忘れられない歌詞がありますか―長崎原爆の「あの日」から五十七年。街にはクラシック音楽や歌謡曲などがあふれている。長崎を舞台に生まれた歌も数多い。そして、被爆地に足を着け、平和を歌い継ぐ人たちがいる。その歌からは、平和を願い、平和を愛するメッセージが聞こえてくる。平和の「応援歌」。そんな歌を紹介する。(文=報道部・豊竹健二、写真=写真部・森慶太) |
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=原爆症 集団申請へ=
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あの日から五十七年たっても、原爆による病気で苦しむ人は多くいる。日本被団協は、被爆者の疾病に対する国の原爆症認定率が低迷している状況を打破しようと九日、全国十都道県で一斉に認定申請を提出する。本県では長崎被災協(葉山利行会長)が取りまとめ、十数人の被爆者が参加する予定だ。認定行政を問う運動の周辺を取材した。(報道部・森永玲) |
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=米国へ届け長崎の声=
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核軍縮が危機にひんしている。米国は包括的核実験禁止条約(CTBT)や戦略兵器削減条約(START)といった二十世紀に世界が積み上げた核軍縮の枠組みを否定し、力を背景として強引に行動する一国主義に踏み出した。被爆地から核兵器廃絶を官民で叫び、その前進を注視してきた長崎は、核情勢の変質に戸惑いをみせている。この一年の激変と長崎の表情を追った。(報道部・森永玲) |
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=鎌田定夫が残したもの=
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長崎の反核・平和運動をリードしてきた長崎の証言の会代表委員で、長崎平和研究所長、鎌田定夫が二十六日、死去した。精力的に活動したその足跡をたどりながら、被爆地長崎の課題を考える。 |