京義線最後の機関士、57年ぶり来崎 原爆時は長崎機関区

 日韓両国で機関士を務め、朝鮮戦争で南北に分断された京義線の最後の機関士となった韓俊基さん(75)=韓国・始興市=が26日、戦時中に勤務していた長崎市を57年ぶりに訪問、当時の機関区の仲間たちと再会した。「昔の面影がある」と語る仲間たちと当時の写真を見ながら、「感無量」と満面の笑みを見せた。

 韓さんは、両親が日本に渡り現在の北九州市で生まれた。一九四三年に国鉄に入社、長崎機関区に配属された。原爆投下の日は非番で、長崎駅近くの寮にいて無事だった。終戦後、四五年十一月に両親の母国・韓国に戻った。

 韓国でも京義線で機関士を務めた。朝鮮戦争が始まった五〇年の十二月三十一日に韓さんが乗務していた列車が米軍に破壊され、以後、京義線は南北に分断された。

 今年五月に訪韓したJR九州の田中浩二会長が韓さんと面会し、長崎に招待。当時の写真を手掛かりに消息が分かった同僚たちにも声を掛けた。

 韓さんはこの日、JR九州長崎支社で当時の仲間たち六人と再会、「自分の顔を忘れてなくてうれしい。昔の仲間が集まってくれて死ぬまで忘れない」と喜んだ。原爆で焼け野原になった長崎の復興を自らの目で確認し「長い時間がたったと思った。長崎は第二の故郷」としみじみ語った。

 韓国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の融和ムードの高まりを受け、京義線は今月十八日に本格的に復旧工事が始まり、今年中に開通の見通し。韓さんは「開通式に招待してもらい、運転させてくれるよう大統領と約束している」と笑顔で話した。








原爆・平和関連記事TOP