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56回目の長崎原爆の日 小中高校で集会や慰霊祭
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被爆地に生きる意味をかみしめ
長崎原爆の日の九日、長崎市内の小、中、高校で慰霊祭や平和集会が開かれた。既に、戦争や原爆を知らない世代が教職員の大部分を占め、教育現場での被爆・戦争体験の継承が年を追うごとに重い課題となる中、被爆地の二十一世紀を生きる若い世代はこの日、「ナガサキ」に生まれ育った意味の重さをあらためてかみしめ、平和への誓いを新たにしていた。
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自ら考えた平和メッセージ「平和への発信」を暗唱する児童ら=長崎市城山町
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城山小 未来へ希望を抱き、世界中の友と協力
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学級代表らが平和への発信
爆心地に近く、多くの児童や教員が犠牲になった長崎市城山町の城山小学校(前波政昭校長、四百十九人)では、体育館などで平和祈念式を開き、子どもたちが自ら考えた平和メッセージなどを発表した。
式は三部構成で、児童や教員、ロシア・サンクトペテルブルクの使節団など約五百人が出席。
第一部では、「へいわはわたしたちがつくるちいさな“わ”から」「核兵器をなくし、平和な世界を守っていこう」など学級ごとに決めた「平和の願い」を代表者が発表。第二部では、学年ごとに原爆に関する紙芝居やビデオなどを鑑賞した。
第三部は、子どもたちが自ら考えた「平和への発信」と題したメッセージを各学級の代表者ら四十三人が体育館のステージで暗唱した。
サンクトペテルブルク第百四十六学校のガリーナ・ザクレフスカヤ校長は「一九八八年に長崎から鐘を贈ってもらって以来、互いに深い友好関係にある。午前十一時二分にはその鐘が鳴り、サンクトペテルブルクでも平和への祈りをささげます」と語った。
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平和宣言
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私たちは人々の命や幸せを奪う戦争を憎み、平和な世界をつくるという願いを広げていきます。私たちの願いは戦争のない平和な世界。核兵器のない平和な世界。この願いが実現されるまで、私たちは城山小学校から平和への発信を続けていきます。一人ひとりにできることは小さくても、みんなで力を合わせ、平和への努力を続けます。私たちは平和について学ぶことによって、平和という喜びを知りました。私たちがこの平和を守っていくことを誓います。 (「平和への発信」より)
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山里小 折りづるで「平和の火」
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姉妹校からも参加
児童・教職員ら約千三百人が犠牲となった長崎市橋口町の山里小学校(宮崎淳右校長、五百八十三人)での平和祈念集会には、島根、大分両県など全国各地の子供たちが特別参加。被爆地から恒久平和の輪を広げることを誓い合った。
「この子を残して」などの著書で知られる故永井隆博士の母校で、山里小の姉妹校、島根県三刀屋町立飯石小学校や、大分県竹田市内の三小学校の児童ら約百三十人が平和の心を学ぶため訪れた。
集会では、全国の修学旅行生らがささげた折りづるを「平和の火」として燃やしたり、永井博士が作詞した「あの子」を斉唱し、犠牲者を追悼。児童全員で「先輩方が願い続けた平和を、世界中の友と協力して、築いていきます」と誓った。
さらに飯石小六年の稲田慎也君が「永井博士の思いをしっかりと受け止め、平和のためにぼくたちができることを一生懸命頑張りたい」と決意を語った。
被爆当時、山里国民学校六年生だった西村勇夫さん(68)の体験講話などもあり、児童らは平和の大切さをかみしめた。
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平和宣言
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私たちは戦争の恐ろしさを知りません。でも、平和の尊さは知っています。平和で安心して暮らせる世界が大好きです。
56年前、この場所で、一瞬にしてすべてのものが奪われました。山里小で学ぶ私たちは、この悲しい出来事をいつまでも忘れません。そして、先輩方が願い続けた平和を、世界中の友と協力して、築いていきます。
まずはいじめや差別をなくし、友達や家族を大切にします。そして、未来に夢や希望を抱き、平和への思いを強く持ち続けることを誓います。
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坂本小 「自分にできることから・・・」
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劇や紙芝居で学習成果披露
爆心地に近く、多くの被爆遺構に囲まれた長崎市坂本三丁目の坂本小学校(金森徹也校長、二百五十人)は平和祈念集会を開いた。
同校では語り部から被爆体験を聞いたり、被爆遺構を巡る「平和ウオークラリー」をするなど年間を通して平和学習に取り組んでいる。
集会では各学年ごとに、長崎原爆や東京大空襲をテーマにした紙芝居の披露、朗読劇、平和学習の成果、平和宣言文を発表。戦争や核兵器の悲惨さなどを訴え、平和への誓いを新たにした。
平和宣言文の作成に携わった中崎早紀さん(12)=六年=は「集会を通してあらためて原爆や戦争の恐ろしさを感じた。二十一世紀を平和にするため、自分にできることからやっていきたい」と話した。
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平和宣言
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戦争、核兵器は人類の滅亡をもたらすものです。21世紀を「平和の世紀」にするため、これまでの歴史を学び、戦争の愚かさ、核兵器の恐ろしさを忘れてはいけません。平和な世界を築くために自分たちにできることから始めます。
だれとでも仲良くします。いじめをなくします。ほかの人のことも考えます。物を大切にします。環境を守ります。生き物を大切にします。
まずは坂本小学校を平和で楽しい学校にするため、頑張ることを誓います。
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稲佐小 「平和の誓い」全員で唱和
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戦争の愚かさ考える
長崎市稲佐町の稲佐小学校(松田七重校長、三百六十八人)は体育館で平和祈念集会を開き、二、四、五年の児童が平和学習の成果を報告した。
四年生の児童は、戦争の愚かさをテーマにした朗読劇「どうぶつ村の戦争」を発表し、争い事を話し合いで解決することの大切さを訴えた。「平和の誓い」を全員で唱和後「青い空は」を合唱した。
集会後、当時原爆の犠牲者となった児童、教職員百五人を慰霊する平和の碑の前で午前十一時二分に黙とう。児童代表が折りづるをささげた。
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平和宣言
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稲佐小学校の児童は心から誓います。56年前の苦しみや悲しみを決して忘れません。世界の人たちと仲良くします。みんなで平和な未来をつくります。
私たちができること、お友達と仲良くします。みんなの命を大切にします。世界中の人たちが幸せになるように、自然が大切に守られるように、生きている喜びを、生きている楽しさをこれからも伝え合います。
気付いた人から、気付いたことから始めましょう。稲佐小学校から広げましょう。
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小榊小 投下背景や人的被害紹介
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地雷なくす訴えも
長崎市小瀬戸町の小榊小学校(南宝三郎校長、三百七人)では平和集会を開き、平和学習の発表や紙芝居、劇などを通じ、平和への誓いを新たにした。
全学年の学習発表のうち五年生は、原爆資料館で学んだ原爆投下までの背景や、熱線による人的被害状況などを紹介した。五、六年生八人でつくる平和人権委員会は、世界中から地雷をなくそうと訴える対話中心の劇を披露。実演した同委員会の六年生、白石恭平君(12)は「劇を通じ、戦争について以前より詳しくなった」と話した。
集会の最後には全校生徒で平和宣言文を読み上げ世界平和を祈った。
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平和宣言
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私たちは罪もなく生きているものすべてが原爆や戦争によって傷ついたり死んでしまうのはとても悲しいです。
平和な世界を愛し、平和な未来を築くため、命を大切にします。
世界中から戦争をなくし、私たちの手で明日の未来をつくることを誓います。
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銭座小 語り部の話を聞き
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犠牲者のめい福祈る
一九八八年まで被爆校舎を使用していた長崎市銭座町の銭座小学校(藤井嘉子校長、百四十五人)は、記録ビデオを見たり、語り部の話を聞くなどで平和について考えた。
校舎を解体した当時の校長、市山昭夫さん(69)=同市江平二丁目=が七月、「新校舎になっても平和を伝え続けて」と、解体の様子を映した自作ビデオを寄贈。児童らは「じいちゃんも通った所ね」など、興味深そうに見入っていた。
語り部の中村由一さん(58)から、被爆後に受けた差別などを聞いた後、体育館で平和祈念集会があり、学年ごとに意見発表。濱崎優人君(11)=五年=は「平和に暮らせる世界を築くのがぼくたちの使命」と語り、児童代表が平和の誓いを読み上げた。
児童は、学年別に校区内の慰霊塔を訪れ、犠牲者のめい福を祈った。
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平和宣言
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銭座小学校でも4人の先生と500人の子どもたちが亡くなりました。家族や友達と別れるのは悲しかったでしょう。生き残った人も苦しみました。平和を育てるのはわたしたち、ぼくたちです。地球上から戦の火が消えて、悲しい子どもたちがいなくなるように、国と国とが手をつなぎ合って、平和を願う心を育てていきます。銭座小学校の子どもたちは、差別をなくすために頑張っています。平和な世界をつくるために、「はばたけ子どもらの像」の願いを受け継いでいきます。
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淵中 「悲劇忘れず受け継ごう」
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学習成果を発表
長崎市梁川町の淵中学校(吉村幸典校長、四百二十六人)の平和祈念式典では、各学年ごとに一学期中に取り組んだ平和学習の成果を発表、生徒たちはあらためて平和の大切さを学んだ。
三年生は、六月に実施した同中学校区内の「遺構めぐり」(六カ所)の結果について、生徒数人がステージ上でプロジェクターを使って報告。
原爆投下時、爆風で橋げたが四十五メートル下流に流されたという竹岩橋については、「水遊びをしていた子どもたちも折り重なるように死んだ。今は当時の面影はないが、原爆の悲劇を忘れずに受け継いでいかなければ」と訴えた。
全学年の発表終了後、原爆の犠牲になった教師八人、生徒約五百人の慰霊碑に献花。被爆者の語り部による体験講話などもあった。
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平和宣言
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私たちは、戦争を絶対に許しません。私たちの街長崎は一発の原子爆弾によって一瞬のうちにすべてを奪われました。どれだけの人が友と家族を失ったのか。このときかろうじて生き延びた人々もほとんどの人が病におかされ56年たった今でも心と身体に大きな傷を負って苦しんでいます。私たちにできることは何でしょうか。
真の平和が訪れるのはまだ先のことだと思いますが、これを遅くするか早くするかは私たちにかかっています。平和のために核兵器を廃絶し長崎から日本、日本から世界に戦争の恐ろしさを語り継いでいきましょう。
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山里中 心こめ原爆詩朗読
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悲しみや尊さ再認識
爆心地に近い長崎市高尾町の同市立山里中学校(峯脇成彬校長、六百四十七人)では平和祈念集会があり、原爆詩の朗読などで、平和への決意を新たにした。
各学年が平和学習の成果を発表。三年生の四人が舞台に上がり、原爆詩を朗読した。バイオリンとピアノの演奏をバックに、故永井隆氏の娘、筒井茅乃さん作の「娘よ、ここが長崎です」の一部などを読み上げた。聞いていた生徒らは、原爆の恐ろしさと、家族を失った悲しみを訴える言葉の数々をかみしめ、平和の尊さを再認識した。
峯脇校長は「世界では地域紛争が続き、戦争への不安をぬぐい去れない状況にある。平和な世界を築くために、人権を尊重し、思いやりにあふれた社会づくりに努めなければならない」と生徒に呼び掛けた。
生徒が七月から内容を考えた平和宣言文では、平和学習を大切にし、身近な平和を築くよう努力することを誓い、出席者全員が黙とうして、原爆犠牲者を悼んだ。
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平和宣言
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戦争をなくし平和な世界を築くには、原爆を受けたこの長崎市に住む私たちが戦争の恐ろしさを語り継ぎ、世界へと平和の輪を広げていくことが大切なのではないでしょうか。
そのために私たちができることは自分たちの身近にある平和を大切にし、いつまでも守り続けていきたいという心を育て、大人になった時には世界へと平和を訴えられる人を目指すことではないでしょうか。
私たちは、今取り組んでいる平和学習を大切にし、身近な平和を築いていく努力をすることを誓い、21世紀初めの平和宣言文とします。
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純心中・高 響きわたる聖歌
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ミサには遺族らも出席
長崎市文教町の純心女子高校・純心中学校(山野アヤ子校長、千二百八十四人)で慰霊祭があり、ミサが行われた聖堂に聖歌が響き渡った。
ミサには同高三年生と遺族ら三百八十人が出席した。聖書を朗読し、清らかな歌声で原爆犠牲者を追悼。浦上教会のアキレ・ランザロ神父が「原爆を忘れることはない。犠牲者のために神に祈ろう」と話した。
この後、校墓「慈悲の聖母」の前で墓前祭があり、中学生代表の松村志欧里さん(15)が「青春を犠牲にした人々のおかげで今の私たちが存在している。人を思いやる心、人を愛する気持ちを一人ひとりの中に育てていきたい」と慰霊の言葉を述べた。
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平和宣言
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56年前に長崎を襲った原爆は多くの人の命を奪い、苦しみ、悲しみを残していきました。私たちが決して忘れてはならない歴史上の出来事です。
21世紀を担う私たちが戦後復興のために青春のすべてを犠牲にした人々の努力のおかげで存在していることも伝える必要があります。
日本が平和となった今でも世界ではあちこちで戦争が起きています。世界平和と純心女学徒隊の皆さま、犠牲者の永久(とわ)の安らぎ祈ります。(慰霊の言葉)
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長崎西高 築きたい あなたが願った平和の道・・・
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自分の言葉で「あの夏詩う」
長崎市竹の久保町の県立長崎西高校(中嶋将晴校長、千百五十六人)は体育館で平和学習会を開催。戦争や原爆、平和への思いを詩や短歌、俳句で表現した創作活動「あの夏を詩(うた)う」の作品発表などを通じて平和の意味を考えた。
一年生は平和学習ビデオの感想文、二年生は短い言葉に平和の思いを織り込んだ「50字メッセージ」、三年生は被爆遺構巡りを題材にした創作―とテーマを決め、全生徒が作品を提出。学習会では生徒が互選した優秀作が紹介された。
八月九日の平和学習会は昨年に続き二回目。二年生の一人は「昨年に比べ、戦争や平和を自分の言葉で考えることができたと思う」と感想を話していた。
同校は、長崎市松山町の爆心地に最も近い公立高校。被爆当時、現在の同校の場所にあった前身の旧制県立瓊浦中学校は原爆で校舎が全壊。教職員と生徒四百三人が犠牲になった。
会には、瓊浦中の同窓会(樋室照男会長)の約八十人も出席。校庭の一角にある「不撓不屈」の碑の前で慰霊祭を行い、現在の生徒会役員らとともに碑に花をささげた。
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平和宣言
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咲かせたい
あの日途絶えたあなたの夢
築きたい
あなたが願った平和の道
永遠に
あなたの命をつなぐため
(3年・平田陽子さんの自由詩)
長崎に 生まれた意味を 今思う 我らの宿命(さだめ) 重く尊し
(3年・永間幸恵さんの短歌)
空から降るものは、人を傷つける原爆ではなく、人を潤す雨や人を輝かす光であって欲しい。
(2年・竹下夢香さんの50字メッセージ)
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活水中・高 祈りや賛美歌で追悼
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生徒会中心に集会
爆心地から西南へ約五百メートルに位置し、被爆当時旧鎮西学院中学の校舎があった長崎市宝栄町の活水中学・高校(蓮田圭四郎校長、九百十人)は、高校の生徒会が中心となり、平和祈念集会を開いた。祈りや賛美歌、各学年代表の発表で原爆犠牲者を悼み、平和の尊さをかみしめていた。
集会には、被爆者の故渡辺千恵子さんの半生を歌う「平和の旅へ」合唱団を迎え、小笠原一弘団長が「みなさんも困難に立ち向かう心を、千恵子さんの絶望から希望を抱くに至った半生から学んでほしい」と訴えた。
六十二人の団員は、千恵子さんの写真を傍らに、朗読を交えた自作の合唱曲「苦しみの日々」など八曲を切々と歌い上げた。平和を訴える迫力ある歌声に、生徒たちも次第に引き込まれ、最後は涙ぐみながら、繰り返し拍手を送っていた。
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平和宣言
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原爆投下から56年。あの悲劇を忘れていないでしょうか。原爆や沖縄戦、南京大虐殺、慰安婦問題―私たちは教科書でしか学べません。できるなら目を背けたいことばかりです。しかし、その事実を知り、考え、生かす義務があります。私たちは被爆体験を直接聞くことができる最後の世代です。だから、戦争で亡くなったすべての人に思いをささげ、ずっと伝えていかなければならないのです。戦争があった事実と平和である事実に、これからの自分の姿を見いだす努力を誓います。(2年・楢崎葉子さん)
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長崎商高 愛や夢うち砕く戦争、もう二度と・・・
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担い手としての決意新た
原爆で生徒、教職員百七十四人が犠牲となった長崎市泉町の市立長崎商業高校(山口明利校長、九百四十九人)は午前九時すぎから平和集会を開き、生徒会長の江頭孝一君(17)が「これからの時代を担う私たちが、世界恒久平和の実現に努力していかなければならない」とする生徒会起草の平和宣言を発表。平和の担い手として行動する決意を示した。
集会では、長崎原爆の惨状を描いた故福田須磨子さんの詩「忌まわしき思い出の日」をブラスバンド部の伴奏で、放送部員四人が朗読。被爆者で、同窓会副会長の渡邉隆さん(74)=同市岩屋町=が、恩師の原爆俳人、故松尾あつゆきさんが残した手記や原爆を詠んだ俳句を紹介しながら「愛や夢、平和を打ち砕く愚かな戦争を再び起こしてはならない」と訴えた。
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平和宣言
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これからの時代を担う私たちが、世界の国々へ戦争の悲惨さ、無意味さを訴え、世界恒久平和の実現に努力していかなければならない。暴力と力によっては決して平和は訪れません。私たちの周りには、いじめや差別の問題が絶えません。戦争の種ともなり得るそのような問題を私たちは学校から追放することを宣言します。
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鶴南養護 「命を大切に」
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初の登校日設ける
長崎原爆の日の意味を教えようと、西彼三和町蚊焼の県立鶴南養護学校(伊藤隆二校長、百四十五人)は、開校以来初めて平和登校日を設け、学習会を開いた。
小、中学部と高等部でそれぞれ学習会があり、伊藤校長は、被爆惨状の写真を交え「五十六年前の八月九日、長崎でたくさんの人が犠牲になりました。戦争も原爆も二度と起こってはいけない。みんなができることは、友達と仲良くし、命を大切にすることです」と生徒たちに訴えた。
被爆体験のある教諭の話や原爆のビデオ上映もあり、生徒たちは“あの日”の惨状に驚き、真剣な表情で話に聞き入っていた。
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|原爆・平和関連記事TOP|
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